「なんだ、あの口調」
最初に、笑われた。笑うとは言っても苦笑に近かったが。
どうやらシュトッフェルの副官になるらしい彼女を別の人に案内してもらって、その姿を見送った後彼と二人またコーヒーを飲んでいるのだった。
「やっぱりおかしかった?」
「おかしくないはずがないだろう。学生時代の普段の君を知っているものだから」
「それらしく見えるようにしたつもりだったんだけれど…」
「違和感しかないな」
「それを言うなら軍属時代の僕は君だって知らないでしょう」
「まあな。ただ、話してみたところで君は根本の部分が変わらない。一つの信条に従って行動しているように見えるからな」
「それは…君が彼女の監視をして欲しいって言ったからだし」
僕は言葉に詰まる。何か思い当たる節があったわけではないが…。
ただ、彼の瞳に圧倒されてしまった。その目に先ほど感じた寂しさは宿っていなかったが、強い力を持っていた。
「いや、それではなくて。もっと違う、根源に一つ何か大きなものを持っている気がしたんだ」
「何だいそれ」
「諸行無常というかな、そんな類のものだろうか。ただ、諦めるなよ」
「諦めるな、だなんて…僕が諦めなかったことってある?」
「まあ、案外しつこいところはあるようだがな。ヒカルを救ったように、諦めないでほしい」
「何なんだい、まるでもう直ぐ死んじゃう人みたいだよ。それ」
「……そうだな」
彼がそう言った理由を、僕は知らない。
□□
僕は専用の部屋でセキュリティと事務的なことをメインにやっている。あとはシュトッフェルの話し相手。そうして少し、分かったことがある。
時々、シュトッフェルは休暇を取る。平均すると1ヶ月に1回、1日だけ。
理由は教えてはくれなかったが、前日からとても辛そうにしているのを必死で隠している。「大丈夫だ」と言って。体調的なものだろうとは思うが、それ以上の事は何もできない。
それから時々義父と食事に行くらしい。嬉しそうだった事は皆無で大体嫌そうな顔をしている。
非常に稀だが、外部からの来客もある。多くの場合、その来客は彼の伯父とのこと。
行きは年相応の顔をしているが、帰りは大概落ち込んでいる。何があったというのか。
アーヴィング大尉は時折外部と通信をしているようだ。
その発信先は特定できないが、内容は大体分かる。前に「あちらの」シュトッフェルに言われていたように、「こちらの」シュトッフェルのことだろう。
彼女のデータを表示してみたけれど、予備知識がなければ彼女がカミサマの送り込んだ人材だなんてわかりっこないから、1回見てそれからは開いていない。
話してみると、時折彼女は純真な表情を浮かべることがある。新しいことに出会った時、外に出て箱庭の自然に触れた時。普段はストイックですらある彼女に見つけたギャップだった。
彼女は完璧に非常に近い存在ではないかと思う時がある。完璧な人間なんていないと思っている僕がそう思ってしまう奇跡的なバランスで彼女は存在しているのだった。シュトッフェルの事を完璧に近い人間とするなら、彼女も完璧に近い人間なのだろう。
あとは、テトラリスのローエングリン氏の事。
調べる限りでは彼は積極的な活動をしていない。
——ただ、いるだけ。カミサマに送り込まれた人材なのに何もしない?
奇妙だけれど、油断はならない。
僕は僕でどうすればいいのか、少し分かった気がする。
『すべての結末は君に委ねられたといってもいいだろう。君の心の命ずるままに行けばいい。』そんな風に「向こう」のシュトッフェルは言っていた。
それは、僕が少しでも幸せだと感じられるような結末に漕ぎつけること。
アーヴィング大尉も含めて、僕の知る誰もが不幸にならない結末にすることなのだ。そうでなければ役目を終えた後の夢見が良くない。
□□
あれから、もう2年が経った。
僕も彼女もだいぶ此処に馴染んできたというところだろうか。
シュトッフェルは交戦状態にある国や休戦協定を結んでいない国へ隊員を送り込んで軍事拠点の偵察など様々な指示を下してきた。
彼女——レナス大尉と呼ぶことにしたのだが——は時折外部に報告をしながら、シュトッフェルの補佐をしていた。
彼の事を時折、恋に近い感情に焦がれた目で見ることがある。
そして彼の癖まで分かるようになってしまったようだった。
苛立つと左耳のピアスをいじったり、酷い時には昔のヒカルみたいに口調が少し荒くなるという事とか。
冷たいとも言い難い、全ての感情を消し去ったような表情と眼は時折見せている事とか。
こんな彼は知らなかったけれど、これから知ればいいのだろう。
□□
ある時の事だった。
突然レナス大尉に呼び出されて隊長執務室に全員が集められた。
異様な雰囲気と静寂の中シュトッフェルを待つ。
乱暴な足音に紛れて何かを投げ捨てたような音が聴こえた。
それから30歩ほどしただろうか、足音が止まる。
コンソールパネルを操作され、解錠される音がして誰かが中に入る。
その誰かとは、シュトッフェル。
隊員が一斉に敬礼をし、彼もそれに敬礼を返すことで応える。
その直後に口火を切ったのはレナス大尉。
「お帰りなさい、閣下」
「……あぁ、ただいま」
「副官以下全員揃っております」
入ってきた時に見せていた能面のような表情がふっと、何か憑き物の落ちたような表情になる。
何かあったのだろうか。いや、あったに違いないだろう。こんな顔をしているときは大抵良くない事だろうと思う。
「…………さて、集まってもらったのには重要な理由がある。我々特務隊は諜報活動を中心とした特殊任務を担ってきた。そこまではいいな?」
Yes,sir!と返す。
シュトッフェルはかすかに頷いて続ける。
その表情は言葉の先を聞かずとも、必ず良くない報せだと悟らせるには十分すぎるほどだった。
「今日、元帥より新しい任務を下された。あぁ…その前に現在、軍内では元帥に対して反旗を翻そうとしている輩がいるという噂があるのは知っているな?」
再びYes,sir!
「そこでだ。閣下はその噂を気にされているらしく、我々に反乱分子の粛清……というよりも、閣下にもお考えがあるようで、我々には捕縛を命じられた。どうやら、殺してはだめだそうだ。特務隊は暗部として動くようにと仰った。後で専用の制服が届くそうだが……あぁ、来たようだな」
来訪者を告げるブザーのような機械的な音が部屋に響いた。
『元帥からお届けものです』
「入れ……いや、私がそちらに行く」
彼は顔を盛大に顰めながら、扉へと向かった。
そこで、”お届けもの”を運んできた人間と何やら話している。
その後受け取った荷物を床に下ろすと、運んできた人間に何かを言って彼を追い返した。
彼がここまで感情を露わにしているのは珍しかった。
ことさら、苛立ちや焦りといった感情は。
シュトッフェルがなにかぼそりと呟いたことをレナス大尉は聞き逃さなかったようで、彼女は顔を大きく顰めた。
伊達に彼の副官を2年間やっていないということだろう。
普段とすればかすかな違いだけれど、それでも大きな違いなのだ。
23歳という若さで少将の地位にある彼は他人になめられたり、妬みだとかで良くない感情を持たれていることが多い。
ほかの将官と対等に接しようとするために、彼は普段ポーカーフェイスを崩すことなく任務をこなす。
感情を押し隠したその姿を上層部では”人形”だの”執行者”だのと呼んでいるらしいが、そんなことはどうでもいい。
彼女はいつものポジションにつく。
隊長の斜め右後ろ。
「で、だ。こちらの箱に新しい制服が入っている。自分のサイズに合ったものを取れよ」
そう言いつつ、シュトッフェルは執務机の椅子にかけて箱に添付されていた紙を見ていた。紙は1枚だけではなく、複数枚。
そのうちの1枚を見て、驚愕の表情を微かに浮かべた彼は顎に手を当てて何かを考えている。それの意味するところだろうか。
そして声を発する。
「制服を受け取ったものはこちらへ……渡すものがある」
「………閣下、これは!?」
「…………どういうことなんですか!?」
そうして、彼の前にやってきた隊員たちに除隊許可証を手渡すと、彼らはみな驚いたらしく目を見開いていた。
言うまでもなく、僕もその中に含まれている。
文面を見て僕たちは何か良からぬことをする羽目になったのではないか、と訝った。
それからワンテンポ置いて除隊許可証を渡された理由も分からない隊員たちはシュトッフェルに机越しに詰め寄る。
彼らに落ち着くように諭してから、シュトッフェルは口を開いた。
「そのことについて俺の推測を述べてみたいと思う。あくまでも推測だから、確証はない。………………だがな、俺の推測を聞いて判断するのは、間違いなく君たちだ。そこのところを念頭に置いていてほしい」
そして、彼は推測を簡単に述べ始めた。
できるだけ感情を抑えて淡々と。
やはりというべきか。推測を聞いた隊員たちの顔が次第に曇り始めた。
いや、そうならない方がおかしいのかもしれない。
「理不尽でしょう!?」
「私たちを何だと思っているんですか!!」
「隊長は悔しくはないんですか!?」
彼らに対して、シュトッフェルは手で制し言葉を紡ぎだしていく。
その最中に彼の顔も曇っていくのが分かる。
何も感じない方がおかしい。分かっている。
けれども僕の動揺はそれほどでもなかった。確証はないけれども心のどこかで、こんな事をする日が来るかもしれないと思っていたのかもしれない。
「それは確かに悔しいし、元帥に殴り込みしに行きたいような気持ちにもなるさ。……でもな、『あくまでも推測』だと言っただろう?………万が一の場合は俺が全ての責任を取る。そんな事態が起こらなければ問題は無いのだがな。……で、話を戻すが、作戦実行は今日より一週間後。作戦名はwaltz in the DARKとする」
顔が曇ったままのシュトッフェルは部下たちに復唱を命じた。
僕以外の全員、同じような顔で復唱した。