それから隊員は帰されたが、僕はただ一人隊長執務室に残らされた。
「君の表情が崩れるなんて、意外だった」
「俺だって人間だからな」
「僕は、どうしようか。ターゲットの情報でも探ろうか」
「イングラム、君の冷静さが怖い時がある」
「そう?君に怖いものがあるなんて思わなかった」
「……人間だからな」
重要な話だろうかと思っていたら、そんなことはない。
ただ、本人は何かを迷っているようだった。
だから、僕は直接的な問いを投げかけてみる。これが話のきっかけになるであろうと思って。
「君、隠していることがあるでしょう?」
「……隠していること?」
「そう。君、ここのところ様子が変だから」
「…………そんなつもりは」
「あるでしょう?」
「なぜ、見通してしまうんだ。必要のないことだと思って黙っていたのに」
押し問答とはこのことか。結局シュトッフェルは僕の押しに負ける。アカデミー時代もそうだったけれど。
「やっぱりね、話してみるのもいいもんだよ?この部屋はセキュリティもいいし、僕だって口外したりするつもりはないから」
「どうやら、やられてしまったらしい」
随分あっさりとした告白だったので、却って僕のほうが驚いてしまった。
やられたってどういう意味だ。うつ病とかそういうことなのか?
「それ、結構重要な問題だと思うけれど」
「迷いがあるんだ、このままこの命令に従ってよいものなのか」
思っていたものとは違い、拍子抜けする。
それは精神をやられた、というより大きなプレッシャーというほうが近い気がする。
人間らしい一面にどこかほっとした自分がいた。
「あ、そういうこと……?命令には従うしかないんじゃないのかな。逆らえばもろとも死だろうし」
「なぜ、そうだと気付いた?」
「君、さっき驚いた表情で書類を読んでいたんだもの。おかしいなと思うよ、あとは推測」
「まったく、隠し通せないな…。できることはそうだな…」
「——”命令に従いつつも君と僕で頓挫させる”しかないんじゃないかな」
「…やっぱりやるしかないだろうな」
「やるしかないでしょ」
「神の采配に賭ける、か。できることはやるほかないな」
「……そうだね。向こうのシュトッフェルの働きかけにも期待しておこう」
「ああ、きっと頓挫させてやる」
少し、瞳に光が戻ってきた気がする。
それでこそ知っているシュトッフェルだ。
□□
作戦開始まで、あと7日。
シュトッフェルは各自いろいろな準備をするように伝えた。
捕縛するだけと言えばそれまでだが、その中であり得るであろう危険に対しての準備だ。
僕はまずターゲットのプロファイルを見ることから始めた。
ぺらりとたった1枚のリストを見る。
Abel Bohun(アベル=ブーン)
Alfonso Mendieta(アルフォンソ=メンディエタ)
Ana-Maria Chartres(アナ=マリア=シャルトル)
Bernard Radford(バーナード=ラドフォード)
Bryan Henryson(ブライアン=ヘンリソン)
Colin Bentley(コリン=ベントリー)
Conrado Ghirardini(コンラード=ギラルディーニ)
Damien Philip(ダミアン=フィリップ)
Dietmar Gegenbaur(ディートマル=ゲーゲンバウアー)
Duke Arze Lautrec(デューク=アルゼ=ロートレック)
Ethelbert Plant(エセルバート=プラント)
Greta Lloyd(グレタ=ロイド)
Imanol Martin(イマノル=マルティン)
Jeremy Roma Dixon(ジェレミー=ロマ=ディクソン)
Jules Ribot(ジュール=リボー)
Karl Berger(カール=ベリエル)
Lloyd Baldwin(ロイド=ボールドウィン)
Leonard Liddell(レナード=リデル)
Magali Renouvier(マガリ=ルヌヴィエ)
Matheus Erwin Ruhnken(マテウス=エルヴィン=ルーンケン)
Maurice Baudelaire(モーリス=ボードレール)
Philander Percy(フィランダー=パーシー)
Raul Ibarruri(ラウル=イバルリ)
Robert Ehrsson(ロベルト=エールション)
Rodolpho Modigliani(ロドルフォ=モディリアーニ)
Roland Brenan(ローランド=ブレナン)
Sergi Japon(セルジ=ハポン)
Sergio Carnicer(セルヒオ=カルニセル)
Valentino Croce(ヴァレンティーノ=クローチェ)
Viktoria Bunina(ヴィクトーリヤ=ブーニナ)
Williams Maynard(ウィリアムズ=メイナード)
Winfried Gerhardt(ヴィンフリート=ゲルハルト)
以上が元帥に楯つこうとしている首謀者たちということらしい。
そして彼ら個人のデータおよびスケジュールを1件1件虱潰しに見ていく。
必要になりそうなところはメモを取っていく。
しかし。
「………ん?おかしいな」
Duke Arze Lautrecだけがデータを確認できないのだ。リストには確実にその名はあるのだが、データはない。
何遍データベースに検索をかけても結果は同じである。5回目の試行の後に、リストの紙をボールペンで小突きながら頭を回転させる。
死者であることをまず考えてみた。——直ぐにあり得ないとかぶりを振る。
死者であってもデータは残っているはずだからである。データにM.I.A.(Missing In Action)なり死亡なり書かれていてもおかしくはないはずだ。
それさえないのは妙だ、ということになる。
架空の人物?——配布された当日に発行されたリストに架空の人物が紛れ込んでいる意図が分からない。
ただ……と思いつく。これがコードネームだったならば?
コードネームが誰を指すのか解明できれば、実在の人物に近づけるかもしれない。ひょっとしたら、それはこの組織の暗部に触れるのかもしれないが。
こうしてはいられない。シュトッフェルに相談をしよう。
そう思って執務室に向かったのだが、一足遅かったらしい。足早にどこかへ向かっていくシュトッフェルの後姿を見つけた。
僕はなんとなく嫌な予感がして、その後を追った。
□□
——後を追った僕が見たものは何故か仰け反ったシュトッフェルと、懐かしい人物だった。
「ったく大丈夫かよ。ここに居るのが俺様じゃなかったら驚かれてたんじゃね?ま、俺様は爆笑寸前だけどな」
「俺様のこと、忘れちまったか?クリストフ=クロイツァー」
懐かしい声。見知った顔。
自分の事をおちゃらけて”俺様”と呼んでいた。
短く刈られた黒に近いダークブラウンの髪。
中肉中背のアジア系の男。
ああ、そうだ。
シュトッフェルが、けがはしたが生きているって言っていたもんな…。ヒカル。
出ていくことはせず、陰に隠れてその様子を見ることにした。
「………君は」
シュトッフェルは言葉を発しかけて、言葉に詰まったようだった。
ヒカルはくしゃりと顔をほころばせて笑って、彼の頭を左腕で抱き込んだ。軽く頭を叩くのも忘れずに。
実に懐かしさを覚える彼流の挨拶だった。
「随分と久しぶりじゃねぇの?……シュトッフェル」
「その声と髪色、髪型、話し方からすると………ヒカル…?ヒカル=ヤサカか?」
「おうよ。ヒカル=ヤサカ様だぜ!!ようやく思い出したのかよ!アカデミーでのクラスメイトだったってのによ?」
「………すまない」
「…俺様はあんたのこと、ちゃんと覚えてたってのによ」
「……………すまない」
「…別に謝って欲しいんじゃねぇよ。でもな、せめて……いや、何でもねぇや。ま、思い出してくれて良かったってとこか」
「…………」
ヒカルが明るかった表情を沈痛なものに変えた。
彼はよく表情が変わる。だからこそ、彼の悲しげな顔は余計に悲壮さを漂わせてしまう。
それで、幼馴染の彼が何を言いたかったのかを何となく悟ってしまった。だから何も言えなかった。
「いつの間にやら、あんた少将になっちまったんだな。さすが『万能の天才』とかって呼ばれてただけのことはあるな」
「……………」
シュトッフェルの肩章を撫でるように見るヒカルの視線に、シュトッフェルは何も言えないでいた。
「……………俺様たちのクラスにいたやつら、どうなったか知ってるか?俺様のことを忘れてるようじゃ、きっと知らないだろうな。みぃんな、死んだ!…もっとも、”お偉い”さんなあんたは死者のことなんてそいつの名前じゃなくって書類上の数字でしか知らないんだろうけどな!!」
何かのスイッチが入ったかのように、ヒカルはこちらが憎らしくなる程けたたましく嗤いながらはっきりと答えを述べた。
「ロイド、アヤカ、リサ、ハーディス、イヴリン、ジェーン、ディオン、セオドア、トミー、ジョン、セツナ……クオンにスクルドも。ウィスクラスのアカデミー生はみぃんな死んだのさ!!………そうさ、俺様とあんた以外はな!!!!アハハハハハハハハハハッ!!!」
再びけたたましく嗤いだしたヒカル。
もはや彼の瞳にはかつての澄み切った真剣さなど欠片もなく、ただ果てしなく濁りきった狂気だけがあった。
(——狂っている。)
僕はそれに恐怖を覚えた。
自分が知っている、否それ以上の、大切な仲間だったはずの人間の狂った姿を見て、逃げ出したい衝動に駆られたが動けなかった。
こんな彼、僕は知らない。怖い。
「みんな、俺様が殺したのさぁ!!!」
「……………クオンも、スクルドも?」
「そうさ。あいつらの作戦はこの俺様が立ててきてやってたんだぜ!!すげぇだろ!?」
ようやくシュトッフェルが言葉を発すると、ケタケタとさも可笑しそうに嗤い同意しながら、ヒカルは続ける。
彼の眼尻にはうっすらと涙まで浮かんでいる。そこまで、狂ってしまったのか?仲間の死を嗤える程までに。
そして彼の狂気に呆然としている様子のシュトッフェルと僕。
「あいつら、何にも疑わないで俺様の作戦に従いやがった!そして、あまりにもあっけなく死にやがったのさ………みんな、この俺様の所為で死んじまったのさぁっ!!!!!」
嗤い続けている顔とは裏腹に、ボロボロとヒカルの目から零れる涙。
あの涙は彼の悲しみ、やり切れない思い、仲間を死なせるような作戦を立ててしまったことに対する自責の念といったものの表れだ。
きっとヒカルは僕を含めたクラスメイトたちの死の所為でこんな風に狂ってしまったんだ。
体だけじゃなくて、心が深く傷ついて、それ以外考えられないくらいに壊れてしまったんだ。
最初に見せたあの底抜けに明るい表情は恐らく彼の僅かに残っていた彼本来の心だったのだ。そう考えると内にあった恐怖が薄れる。
(僕はここにいる。死んでなんかいない。ここにいるんだ!)
そう叫んでヒカルの元に駆け出したかった。
「向こう」のシュトッフェルにも止められなかった、ヒカルとの再会…それはできなかった。
これ以上不用心な真似をすれば、ヒカルの心が遂には壊れてしまいそうで怖かったのだ。
思わず握りしめていた拳に力が入る。
「……………なんで、しんじまったんだ?なぁ、答えてくれよ…シュトッフェル」
その場に崩れ落ちて、声をあげてぼろぼろと泣き続けるヒカルと、彼をただ茫然と見つめるシュトッフェルとを陰から見つめることしかできなかった僕がいた。