彼女の選択を悟ってしまった以上、僕も動かねばならない。
「こちら」のシュトッフェルが危機的状況ならば「向こう」のシュトッフェルに働きかけるほかないだろう。
執務室を出て、僕は一人自室へ戻る。
「シュトッフェル」
呼んでみれば応えてくれるような気がしたのだ。
□□
夢を見ていた。
シュトッフェルともう一人、長い茶髪の男がいた。
シュトッフェルが問いかける。
「こうしてこの世界が自分の存在を許してくれている以上、君は本当はこの世界で神を名乗るべきじゃなかったと分かっていたはずじゃなかったのか」
「…分からないよ」
「…では、君は何故ここにこうやって存在する?」
「――ああ。今でも、脳裏に焼き付いている…嫌な記憶として」
男は存在理由について答えはしなかったが、シュトッフェルにとってはそれで十分だったようだ。
感情の読み取れない瞳で男を見つめていた。
「自分のせいで失ったくせに、会いたいと思った。君は、もう誰かを失いたくなどなかったんだろう?」
「そうだ。だから、僕は神になりたいと願ったんだッ!」
「だから?」
「…並行世界移動技術を応用して、自分の望むように…もとの世界に戻りたくて、変えていったはずだった…」
「で、君はどうした?」
「いつかは、この世界を科学技術の発展半ばで失ってしまった故郷のコピーとして完成させることを目標にして、科学技術のレベルも急激に上げた。何もかも同じにした!…人の形だって故郷で見かけた人々の特徴をそのまま生かした」
「……そうか」
「時が経つにつれて次第に褪せていく記憶の中を必死で探っては、思い出せるものをすべて注ぎ込んだはずだったんだッ!ガブリエル、エアハルト、ベアトリーチェの生き写しのようなものを何体もつくった…だけど」
「だが、所詮はコピー。時間が経てば上手くいかなくなり、失敗してはデータの削除の繰り返し。君が誰かのデータを消すという事はこの世界のその人物が死ぬということ。間違いなく多くの人々が失われてしまったんだろうな…「故郷のコピー」の完成に没頭するあまり、自分の「失いたくない」という願いを忘れていた。…君は自分で自分を裏切ったんだ」
流れるような指摘に、男はただ黙っているしかなかった。
僕はなんとなく話の流れから、こいつがカミサマなのかなと思い始めた。
長い茶髪に白衣を纏った”カミサマ”。
彼の言葉の中にあるガブリエル、エアハルト、ベアトリーチェ…誰かはわからないが、その人たちはカミサマにとって大切な人だったのだろう。
カミサマはカミサマではない、ただの人間だった。
「そして人を殺すという感覚を、データという数値と文字でしかない情報で誤魔化し、ついには感覚が麻痺してしまっていたのさ」
そう付け足して、シュトッフェルは嗤う。
さっきの部分だけでも相当痛かっただろうに、まだ彼の言葉は終わりそうになかった。
「いつしか本当に自分を神だと、全知全能で人の生死すら操れるのだと、勘違いしてしまっていた。それは、意識に頑固にしみ込んで離れない。何故なら、一度願った事が”叶った”からな…そりゃしがみつきたくもなるさ。…だから、過酷な試練を考えては誰かに与えてみたり、いっそ死に追い込んでみたり。そんな風にレナスをベアトリーチェの複製体として作り上げ、彼女にスパイの真似事もさせたんだろう?お前には取るに足らない実験のように」
「……」
「実に愚かな事だ。だが世界はその勘違い甚だしい行為すらも寛容に受け入れていた。君はその事に気付いていなかったんだよ」
「――そう、僕は気付くのが遅かった。それならばどうしようもない、最後のこの世界に対する干渉だ。世界が僕の存在を消すことを覚悟した上で彼女と戦おう。己がしてしまった事と向き合わなければいけない事にようやく気付いたんだ」
「そう、やってみればいい。本当にそれができるかどうか…」
彼が薄い笑みを浮かべていた。
その笑みには、哀れなものを見るような成分も含まれていたが。
□□
「やあ、シュトッフェル」
「…久遠」
どこか疲れた様子のシュトッフェルに片手をあげて挨拶をした。
やはりどこか疲れた様子で僕の本名を呼んだ。
「カミサマって茶髪の男だった?」
「ああ、そうだよ。…見てしまったんだな」
「君が危機に瀕しているって聞いて、話をしに来たんだけれど」
「そうだろうと思っていた。答えは本当だ。今のカミサマが――イヴリンが干渉をかけてくる。すぐにでも…」
「どうすればいい?」
シュトッフェルは顔を横に振る。
それは僕の出る幕ではないことを表しているようだった。
「……ここは僕の出番だ。ぎりぎりまで抵抗してみせるさ」
「じゃあレナス少佐は?ローエングリン氏は?」
「今のところ、大きな動きはない。レナスはイヴリンに抵抗することを選んだようだけど、クラウス=ローエングリンは何もする気配がない。あいつ、本当はイヴリンの事を見限っているのかもな」
「――そう。でも、抵抗するってどうやるの?」
「……ああ、それは僕の生まれにも関係するんだけど。それでも話してもいいかい?」
「もちろん」
「いつだったか忘れたけど惑星ルヴナンのオーパーツ、”ゲート”の調査に来ていた研究者一行にイヴリンが世界の消滅を告げたんだ。多分、その時イヴリンの元同僚がこの世界に仕込んだウイルスが発動して”ゲート”があいつの声と一緒に遺伝子配列を映しだした。それが一部では”ゲートキー”って呼ばれているもの。それのデータを研究者が持ち帰って、当時の遺伝子工学の粋を集めて作られたデザイナーベビーが僕だ」
覚悟を決めた目でシュトッフェルは話し始めた。
オーパーツの事、”ゲートキー”の事、自らの出生の事を。
「――話は”ゲートキー”の事になる。”ゲート”を通過するのに利用するからか一種の能力が生まれたんだ。あらゆる確率を変動させる能力ってやつ」
「なんだかすごい名前の能力だけど、それで抵抗するの?」
「そういうこと。基本的にこの能力は僕の存在を確立させるためにあるから、それを最大限に使って攻撃を防御するつもり」
「そもそもいま、危機に瀕しているのはなぜ?」
「この能力の所為だ」
「抵抗するための能力で?」
「そうなんだ。この能力は脆弱性があって、遺伝子自体も変動しやすい。僕がしょっちゅう体調を崩すのはこれの所為なんだけれども、最悪な事に今は体調を崩している時期なんだ」
「危ないじゃないか」
「だから、もう一人の僕が……って言っても僕も万全なわけじゃないけれど、戦うしかないというわけ」
「やっぱり僕には手伝えることはない?」
「―――そう、だな。ただそこにいてほしい」
そして時を待つ。最後の干渉とやらが始まる時を。
□□
シュトッフェルの体がびくりと震える。
どうやら干渉が始まったらしい。
今までの涼しげな顔を歪め、シュトッフェルは胸を掻き毟り始めた。
自らをかばうように背中を丸め、大きな脂汗の粒が浮いた眉間に皺を寄せる。
こんなに苦しそうな表情、見たことがなかった。
手を差し伸べたいが、己は何もできない。
その身を襲う感覚は想像すらできない。ただ、静かに見守ることしかできなかった。
どれくらい、時間が経っただろうか。
1時間?いやもっと、3時間?もっと長い気がする。
ふと、彼の表情が和らいだ。
「…大丈夫、なの?」
「―――長丁場に、なりそうだな」
僕に向けて言ったわけではないらしい。ほとんど独り言に近かった。
目は少しだけ虚ろになっていたが、まだ正気の光はある。まだ、耐えるつもりらしい。
驚嘆の思いをもってシュトッフェルを見やる。
「―――――」
何かをシュトッフェルが呟いたが聞き取れない。
また、彼の体がびくりと震えた。
「―――」
やはり何かを呟いている。
声が小さすぎて聞き取れないが、唇は何かしらを伝えようとしていた。
So seid nun geduldig, liebe Brüder,bis auf die Zukunft des Herrn.
Siehe, ein Ackermann wartet auf die köstliche Frucht der Erde und ist geduldig darüber,bis er empfahe den Morgenregen und Abendregen.
So seid geduldig.
ただ、僕にはその意味が理解できても出典が何かは分からなかった。
お祈りか何かの1節だろうか。付け焼刃のクリスチャンなのでさっぱりだ。
□□
2時間ほど経っただろうか、苦しげな表情をますます深めてシュトッフェルは蹲った。
それでも何か――恐らくは先ほどのフレーズ――を呟いていた。
「僕がついてる。だから、諦めないで」
「―――ありがとう」
見ていることしかできなかった僕がそっと肩に手を触れる。その肩はぶるぶると細かく震えていた。
シュトッフェルは顔をあげ、必死の笑みをかたちどった。
□□
「終わりのようだ――」
シュトッフェルがふっと虚ろな表情を浮かべる。声もどこか上の空だ。
それは、彼の戦いが終わったことを意味したのだろうか。
がくんと崩れ落ちた彼の体を支える。彼は上の空のままで言う。
「僕は”連れて行かれた”――」
「何処へ?」
「……イヴリンのいる空間”ディレクターズ=エリア”だ」
「………連れ戻さないとね」
どれだけ時間がかかっても、連れ戻さないといけない。
僕の大切な友人だから、僕が幸せになるには彼の存在が必要だと思い至ったのだ。
レナス少佐と協力できないだろうか。カミサマの送り込んだ彼女ならばなんとかできる気がするのだが。
彼女の抱く感情が僕の想像するものであるならば、彼女は協力してくれる可能性が高い。
「一筋縄ではいかないと、思うが」
「諦めるな、って僕に言ってくれたのは君でしょ。大切な仲間がピンチだっていうのに助けないやつがどこにいるんだって話」
「そう、か」
「君はしっかり休んで。かなり消耗したでしょう?」
「そう、だな…」
「しばらくは本当に休んで。僕は僕なりに手掛かりを探すから」
「君こそ、いい加減この場を離れたほうがいい。次の標的は君かもしれない――」
シュトッフェルをその場に横たえて、僕は現実へと引き戻された。
万物はあるべき様にしなくてはいけないと思いながら。