No Title Chapter of Lenneth: 07

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「———補佐官ッ!!」

ノックもせずに執務室の中に誰かが勢いのままなだれ込む。
呆れたような苦笑を零して、私はその人を見つめた。

ポニーテールにした黒い髪に黒い瞳。アリス=マリア=ローズ、階級は少尉。
彼女がこんなに慌てていることなど珍しい。すぐそばにナイトレイ少佐がいることにも気がついていないようだった。

「ローズ少尉、入る時はちゃんとノックして……あなたには今、そんな事を言っているような余裕はなさそうですね。どうしたのです?」
「…………っ、補佐官。閣下が、今大変なんです!だから…私に、出撃許可をッ」
「何故、閣下が今危険だと?あなたがそう判断した根拠は、あなたにありますか?」

何故、彼女にはそんな事が分かるのだろう。
もしかして、彼女が彼の複製体であるからだろうか。
目の前の彼女は私の問いに対して答えに詰まったようだった。
暫く間をおいてから、彼女は何かを決心したかのような顔で話しだした。

「…私には、未来を見る力があります。それを未来視と私は呼んでいます。これまでにその能力によって私は何度も助けられてきました。なので、信用に値すると私は考えています。その能力から、私は閣下が危険だと判断しました」

支離滅裂だが、シンプルで、要点はきちんと押さえた答えだと思う。
彼女はそう言ったあと固く目を閉じて、俯いた。
未来視。ESP?
彼女にそんな力があったのだろうか。
ああ、でもそんな怒られるのを覚悟したような仕草はしなくてもいいのに。私の存在がまずあり得ないのだから、彼女にそんな力が無くっても怒ることなどできないというのに。
プログラムを立ち上げる。あの人が教えた通りに操作をして、マザーのデータ閲覧モードに移行する。検索。アリス=マリア=ローズ。
……なるほど、彼女の言う事に嘘はないようだ。あの人はこんな能力を彼女に付け足していたのか。

「——アリスッ」
「……何だ?」
「どういう状況?」

「あらあら…あなたを追いかけてきたみたいですね」

私は再び苦笑した。
固く目を閉じて俯いたアリスの背後に、隊員たちが集まっている。
一番息が荒いのはアビゲイル。茶髪のショートカットが僅かに乱れているし肩で息をしているから、相当大急ぎでアリスを追って来たのだろう。流石の彼女も、彼女の様子がおかしいと判断したのだろう。
それに他の隊員は彼女が連れてきたのだろう。彼女はリーダーシップをとれるから。
ちょうどいい。もう確証はとれているが、アリスの言っている事は本当か確かめてみよう。
彼らから見る彼女には未来視の能力があるのか。
そうだとすると…本当に閣下が危ないのか。

「——お聞きしますが、皆さんはローズ少尉に助けられた事がありますか?例えば、何かを注意されて『〜が起こります』って言われた後に実際そうなった、とか」

「うーん、どうだったかな…」
「覚えてる?」
「いや、私は…」

随分とあやふやなようだ。本当はアリスにそんな力などないのだろうか。
でも、人間の記憶は大体はそんなものだ。
肩を震わせるアリスを見て、私はなんだか彼女をいじめ過ぎたような錯覚に陥る。
困って口を開こうとした、その時。一人の手が挙がった。

「あ、あります。waltz in the DARKの時に、『この作戦、必ず失敗するわ。実行直前に実行犯と被害者何人かが血を流すことで終わってしまう』って言ってたのを覚えています」
「waltz in the DARK…」

小さく反芻して、懐かしい作戦コードネームを聞いた。
レナスは思い、そして考えた。
確かその作戦は、彼が一人の軍人を操って上層部の人間を複数殺害したために作戦遂行当日になって中止になった。
実行者はヒカル=ヤサカ中尉、だったか。閣下のアカデミー時代のクラスメイト。
神がそんな彼を選んだのは意図的だったのだろうか。

とりあえず、アリスを信じてみよう。
何はともあれ、口実はできた。

「——分かりました、特務隊隊長代理として出撃を許可しましょう。ただし、ローズ少尉…あなたは一人で行っては駄目…ここにいる全員で行きなさい」
「あ…ありがとうございます!」
「私が上層部のクレームは受け付けます。それと、10分で用意してここに集合して」
「補佐官、10分では遅過ぎます。だから……5分だけで結構です」

アリスがそう言った。
黒い瞳が決意、あるいは覚悟の光を宿し、私を見つめる。その目はあまりにもまっすぐだ。
レナスはダークブラウンの瞳を和らげて、彼女に問うた。

「…いいんですね?」
「はい」
「5分で用意して、ここに集合しなさい。いいですね?」

Yes, mum. と静かだが強い声が返ってきた。

アリスたちが執務室を出ていくのを見送って、レナスは端末を操作し始める。
まずはタイマーを5分後にセット。
それからキーボードを操作する速さはかなりのものだ。
何とかして『奇跡』を起こしてやりたかった。上司を心配する彼女の視線に負けた後に湧き上がった感情だ。

(…彼女の思いが私を動かしたというの?)

ふ、とそんな事を考えて苦笑した。
それから、6、7年前にこの世界に送り込まれ、クリストフと仕組まれた出会いをした頃を思い出す。
その頃の自分と現在の自分と比較しようとして途中で放棄した。
ゆったりとした、しかし短い、5分という準備時間を無駄にするわけにはいかないから。
短い時間ながらも、ひたすらにタイピングに没頭していく。

(随分と甘くなったものね、私も)

そう認めつつも、考える。
果たして、彼らの影響はそんなにも大きいものだったのだろうか。
私は目的を忘れかけてはいないか?
目の前のモニターに意識を集中させながら、かぶりを振る事で否定する。

「———まさか、ね」

そうひとりごちる。それでも、何かが燻ぶったかのように心に残る。
もしかして、彼らの内部に踏み込み過ぎたのか?それとも、情が移ってしまったとでも?
疑問が旋風を伴って舞い降りる。その疑問は更なる疑問を呼ぶ。
呼び起された疑問は彼女にとって、最大にして最も困難な選択でもあった。

(神に従い”ベアトリーチェ”として、この生命を終えるか。PREVENTERとしてこれからも神に歯向かうか。…それとも、無関心であるように偽って、それを貫き通すか)

この問いを突き付ければ、いつだって神に従う事を正しいとする彼女自身と、神に歯向かう事を正しいとする彼女自身、無関心を装う事を正しいとする彼女自身がいる。PREVENTERとして、神へ妨害するためにディレクターズエリアのマザープログラムへのハッキングを始めた時からは事ある度に彼女に回答を迫る。
昔は前者が絶対的に正しいと信じていた。
だが、今はどうだ?歯向かう事を訴える彼女自身が大きくなっている。それは今も膨らんでいる。
無関心を訴える彼女は徹底して無関心を示している。要は、そんな気持ちは無いという事だ。消去法的に、三択は二択となる。
どうして、これに正しい答えがないのだろう?
いつだって正しい答えがない事に酷く困惑する。明確な答えがあれば、こんなにも困惑する事など無かったのに。

(私は神の使いとしてこの世界にやってきたはず。それでも、それを拒否する私もいる——それなら、私はどうすればいいの?)

気がつけばキーボードを打つ手が止まっていた。迷う暇などないというのに。
レナスがそれに気付いて焦って動かそうとしても、彼女の意思に反して、手は動いてくれない。

(今回は特別。未だ選択を迷える今のうちだけは。)

そう自分に言い聞かせて、無理やりに手を動かして再び防御プログラムを破りにかかる。
大丈夫。きっと、彼はまだ気が付いていない。
マザープログラムが破られつつあることを、私の気持ちがかなりぐらついていることを気付いていない。
彼のプログラムに関する癖は見抜いている。ハッキングの時ばかりは、彼の持つ知識をほぼ全て与えられた、この存在がありがたい。
あと一歩。神のプログラムはもう少しで破れる。
その後はプログラムに直接、座標を指定してやればいいだけ。GPSを使ってクリストフの携帯電話の場所を特定して、設定する座標を特定してやればいい。
実行時にこの世界における、存在が一瞬だけだぶってしまうけれど、許容範囲内だろう。
そんなに大きな矛盾ではない。存在すべきでないものが存在しているという、現在、この世界というステージ上で起こっている矛盾に比べれば些細なものだ。すなわち矛盾はすぐに解消されるだろう。

カタ、ピー、と小さな音がした。
モニターを見やれば、先程まで見ていた幾列もの数字と文字の羅列が消え失せ、新たな画面が姿を現していた。

(後何分かしら?)

タイマーを見て、残り時間があと2分だと知ると、先程までとは比べ物にならない位複雑なプログラムに挑む。躊躇う余裕などない。
目的の配列を探す。一つの文字も見逃すまいと目を皿のようにして、配列を辿る。

「———あった」

いける。大丈夫。
漠然たる確信をもって、GPSを用いて転送先の座標を解析し、プログラムの必要な分のデータの値を変更する。それは彼女の勝手な感情故に。ついでに、他のデータの値も幾つか弄っておくことにした。それは彼女の勝手な私怨故に。
仕上げに、エンターキーを叩いて私怨故に弄ったデータの設定を保存する。
まだ、感情故に弄ったデータの保存はしない。アリスたちが来るのを待ってからでないと、このデータの改竄は意味を為さないから。

あと40秒。
アリスたちを待ちながら、レナスは考える。
今までの記憶を思い返しながら。

(そもそも、私は何故迷っているの?私は何故感情を抱いているの?——私は神にとっての体のいい操り人形でしかないはず)

人形であったはずなのに、いつから私は人間のように振舞っているの?
不意に、とある瞬間が蘇る。そう遠くもなかった過去の事だ。

あの時、クリストフは確かに悩んでいた。
そして何かが溢れてしまいそうになるのを必死で堪えようとしているようだった。
彼は涙を一滴静かに零しながら、それでいて自嘲の笑みを浮かべながら確かに訴えていた。

『だけど、俺は…………泣いてはいけないんだ』

『…………もし…そうじゃなかったとしても、何もかも全てを受け入れなくてはいけない。…それが今の俺の肩書きに課せられた役割だから』

彼は、自分が人形だと言った。
人形であるが故に、肩書きを背負わされている故に、何もかも全てを受け入れなくてはいけないとも言った。
ほぼその言葉通りに、彼は自らが人形であることを認めていた。
だが、零れた涙はそれを拒んでいるようにも見えた。

その時、私は彼に対して、何を思った?

彼が自分と同じではないか、と思ったのではなかったか?
勝手な大人たちによって鍵に、人形に仕立て上げられ、『鍵』の役目を果たさせる為に、軍という舞台にたった一人で立たされた彼。
神によって存在を作り上げられ、神の大切な存在=ベアトリーチェの代役として、導き手として、この世界にたった一人で送り込まれた私。同じだと思っていた。だから軍で上司、部下として出会ってから間もなくして、勝手に親近感を持った。出会いがあったから、現在の私がいる。彼が現在を作ってくれたといっても過言ではなかった。

しかし、絶対的な違いがあった。
彼は何かを生み出せる。何かを変えることができる。
今彼を取り巻く状況も、彼の意思次第で大きく変わるのだろう。何故なら、彼にはそれだけの力がある。
それに対して、私は何も生み出せない。何かを変えることもできない。できるのは、ただ受け入れることだけ。
——————でも、本当にそれだけ?

そう言えば、私は彼に対して何を言っていた?

『…………私が言いたかったのは、今まで申し上げたことと直接関係はしないんですが、『閣下は人形であろうとする必要なんて全くないんですよ』ということです。閣下は何でも我慢したり、ため込んでしまう必要もない』

『もし何かを受け入れたくないなら、跳ねとばそうとしたっていいじゃないですか。肩書きなんて何の意味も成しませんよ。自分が自分であるというアイデンティティを保つためにはね…まぁ、それはいいとして』

『自分が生きるには、逃げることってきっと大切なんですよ。人生が完璧じゃなくたって、もっと自己中心的だったって、むしろ格好悪くたっていいじゃないですか。——もちろん、誰かの腕にすがったって』

あれは自分自身に向けて言っていたようにも思う。人形である必要なんてない、と。今思えば、それは自分にとっての答えだったのかもしれない。その後彼は堰を切ったかのように涙した。嗚咽こそ聞こえなかったけれど、確かに泣いていた。
私は何かを、例えば彼を変える事だってできた?そう、思ってもいいの?
じゃあ、私は神に定められたあり方に逆らってもいいの?
でも、私がこんな事を考えるのだって、神に仕組まれた事なんじゃないの?

そこで、レナスの思考を中断するようにタイマーが時間を告げる。

「——補佐官」

声に導かれるように、顔を上げる。
視線の先には、武装したアリスたちがいた。各々の顔には緊張の色と、真摯な表情だけがあった。

それで、レナスの中にあった問いの答えがほぼ完璧に決まってしまった。
——Rebel against the God.
それが本当に正しいのか分からないけれど、正しいと信じてみたい。

「できましたね?」

努めて穏やかに声をかける。彼女たちは声ではなく、頷く仕草で問いに答える。
レナスは、彼女たちのそれを見て僅かに目を伏せると、キーボードのエンターキーが目に入った。これを押せば、確かに何かが変わる。
だが、もう迷わなかった。既に彼女の答えは決まってしまったから。

「気をつけて———Good Luck!」

「彼女たちが無事に目的を果たして帰ってくれればいい」という願いを込めて言葉をかけ、そしてエンターキーを静かに押した。保存されていなかったデータが保存される。それに伴って、変更された彼女たちの現在地が適用される。
結果、彼女たちはマザープログラムによってヌーシャテルへ転送される。「存在」というスイッチが切れるように、その存在たちが目の前から消える。
その瞬間を見送ってからやや間をおいて、レナスは椅子を回転させ、背後の窓の方を向いて空を見上げた。

見上げた空は今はまだ曇っているけれど、雲の上では確かに澄んだ青を湛えている。
見つからない答えは何かに隠されているようで、それは何かの奥で初めて見つかるものなのかもしれない。

「これで、いいんですよね…?」

弱弱しい笑顔を浮かべて、この場にいない、本来ここに居るべき人に向けて、そっと問いかけた。