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通信が入ったらしい。携帯が鳴っている。
閣下かと思い、画面を見たところ発信先は非通知設定にされている。
普段なら着信音が切れるまで、そのまま無視するところだったが、ちょっとした嫌な予感を抱いたままで出てみた。
「——はい」
『…初めまして、だね』
「誰です」
極めて冷静さを保っているように聞こえるが、奥には堪え切れない怒りとやるせなさが潜んだ声音。こんな声自体には非常に聞き覚えがあるのだが、実際にはこのような声音に聞き覚えはない。「誰です」と問いかけたこちらの警戒心のようなものを嗅ぎ取ったのか、相手は空虚に笑った。
『ああ、神様、だよ。覚えているかな?』
さも当然、といった風に言われた言葉にただ沈黙した。
かつての彼と同じだ、と思いながら。
□□
『ほんと君には失望したよ。…よってゲームオーバー、君の負け。どうやら君はゲーム自体に気付いてなかったみたいだけど?』
「どういうことです?」
『それくらい、自分で考えたらどう?以前なら教えてあげても良かったんだけどさあ!』
けたたましい位の哄笑。まるで狂気に染まったかのような、いや自分を作り出した時のような傲慢さ以上のものを感じて彼に反感を抱く。全てが許せなくなってくる気さえしてきた。
どうして私は彼に従っていたのだろう。かつての自分自身が不可解で、どうしようもなく苛立たしい。
だが彼に苛立たしさを覚えても、まだ彼を信じようとする心もあった。
まさか、という気持ちで問いかける。
「私があなたを裏切ったから?あなたの元に戻ったら、なくなるのですか?」
『…へえ、裏切ったって自覚あるんだ?』
「答えてください」
『何を?』
「私があなたを裏切ったから、あなたはそんな言動をしているのですか?私があなたの元に戻ったら、以前のように戻れるのですか?」
一瞬の静寂。
微かに聞こえてくる怪しげな笑い声を伴って、それを破ったのは彼だった。
『…自惚れもいい加減にしてくれない、”レナスちゃん”?』
「———ッ」
『君も、そんなんじゃないって思ってるんじゃないの…違う?そうなんでしょ?』
初めてだった。
彼に”ベアトリーチェ”という名前以外で呼ばれたのも。
密かに期待していた心を打ち砕かれて、憎しみがこもった言葉を聞くのも。
自身の存在を生み出した親というべき存在に付けられた名前を呼ばれるのはきっとないだろうと思っていた。
彼は『彼女』の存在を自分に重ねていたから。
きっと、これが最初で最後なのだろう。
これは彼なりの、自分との関係性への区切りなのだと、どこか混乱した頭が結論をはじき出す。それに反駁するのはいけないような気がして、ただ黙りこんだ。
彼とのすべてを区切らなければ、と思った。
『さて、これで世界の修復が色々と図られるかもね?』
その残響が耳の中でぐるぐると渦を巻く中、微かに聞こえた言葉。
間違いない、彼の意思だ。彼の手で世界を変えていくという事を彼の独特の言い回しで宣言しているのだ。本来、この世界は彼の手が加わって出来上がったものではないのに、いつから彼はこの世界の神たることを許された?
この世界に、神なんて、いない。…いるはずがない。
もし神様が本当にいるのなら、世界はこんな風にはなっていないはず。
抱いていた反感もあってか、気分が少しずつ大きくなっていく。
「———やってみなさい、イヴリン。もし、できるなら…の話ですけれど」
そんな言葉が感情とは裏腹に、静かに口を衝いて出た。
彼の名前をきっちり覚えていたらしい自分に密かに驚いたが、それよりも。
自分の性格は理解しているつもりだ、だからこんなことはありえない、筈。
『できるものならやってみれば、だって?面白いこと言うね』
「…何度でも防いであげますよ」
『せいぜい、足掻いてみる事だね。僕に刃向かった罪の重大さを思い知らせてあげるよ』
なめらかに口を衝いて出てくる言葉は、誰のもの?
もしかしたら———?
通信の向こう側で高笑いしているイヴリンが容易に想像できた。
もはや、私の知っている彼ではなかった。先ほど感じたような、私を生み出した時の、あの優しくも傲慢な彼ですらなかった。
もう、救いようのない狂気の中に彼はいる。
既に越えてはならない一線を越えてしまっていたのだ。彼女の記憶とは違う、知らない《彼》になってしまったのだという事に、亡き私のオリジナルは…いや、彼女は悲しむだろうか。
「——さようなら、イヴリン」
それだけを告げて、通信を切った。
この決断を彼女が悲しむのかどうかは分からない。
私は彼女とは違う記憶と感情を持つゆえに、彼女であり、同時に彼女ではないのだから。
□□
「厄介ですね…彼が敵に回るとなると……どうやら、私には守りたいものがたくさんあるみたい」
頭の中に守りたい者たちの姿が浮かぶ。勿論、彼の姿も。
いつかそれらを掌から零してしまうかもしれない。それとイヴリンの存在に恐怖を感じ。
気分を切り替えるかのように深々とため息をついて、上司のものであるはずの端末を再び使い始めた。
それと同時に、彼のタイプに最も有効な攻撃方法を考える。
彼から生み出されたが故に同じ知識と記憶と知能レベルを持つ。故に、恐らくあちらも同じことを考えるだろう。神であろうとなかろうと彼にも、弱点はもちろんある。しかし、それは自分にとっての弱点でもある。
「私と彼、どちらが先にお互いの弱点を突くでしょうかね」
前回のマザーコンピューター侵入でコツはつかんでいたので、今度は易々と侵入可能だ。
編集画面が姿を現す。
神に自分が勝てるものとは到底思えないが、それでも。
(せめてイーヴンには持っていかせてもらいたいものです)
「悪いですけど、イヴリン。…私には守るべきものがあるんです。だから、全力を以って徹底的にあなたの企みを阻止させてもらいます」
椅子を窓の方へ回転させて、空遠くを見る。
彼に宣言するかのように、ふっと微笑んでから椅子の方向を元に戻して、徹底的にデータを改変する作業を始めた。
元技術者だというのに、彼がデータのバックアップをあまりとらないことは知っていた。
「あなたの言う通りに足掻いてあげましょう。あなたは、それを高みから見ていればいい」
どんな手段を使ってでも、高みの見物を決め込んでいるその足元から崩していくから。
覚悟、しててください。
□□
一方。
「さて、あいつに僕を裏切った事がどんなに罪深いかを教えてやらなきゃな」
彼女を潰すのに最も有効な策を考えてみた。
地道にコツコツ潰すのはすぐに対策を講じられる可能性がある。
彼女も自分と同じ知識と記憶と知能レベルを持っている、いや自分が与えてしまったのだから、恐らく自分を最も効果的に潰す方法を考えて同じ手段を講じるだろう。しかし、今の彼女には弱点があった。
「さて、どっちが先に弱点を突かれるかな?勝負と行こうじゃないか」
それは恐らく自分にとっての弱点でもあるのだが。
どちらが先に崩されるかという、自分自身を巻き込んだ賭けに愉しみを覚え、挑むかのように虚空を見た。
「さあ、僕に足掻く姿を見せてくれよ、レナス=アーヴィング。勝つのは…この僕だ」
そう、勝たなければいけないのだ。
このゲームの親は自分で、大抵のゲームでは親が勝つように仕組まれているものだ。
椅子に悠然と座り、今度はいつの間にか修復されていたモニターを見つめて時を待った。
自分では治せなかったモニターが修復されていたのを見て、ふと思った。
これはこの世界の恩恵のごく一部なのかも、と。
すると、急激に発生した思考の洪水が脳を埋めていった。
神であるはずなのに、全知全能であるはずなのに、それを止めることはできなかった。
最初に、お前は重大な勘違いをしているんだと嗤う人がいた。
それは『彼』に非常によく似ている。深く、決して揺らぐことのないような色彩の瞳が自分を見据えていた。
君はいったい何だ…?
その問いに応える事なく、彼が問いかける。
『こうしてこの世界が自分の存在を許してくれている以上、君は本当はこの世界で神を名乗るべきじゃなかったと分かっていたはずじゃなかったのか』
『…分からないよ』
『…では、君は何故ここにこうやって存在する?』
『——ああ。今でも、脳裏に焼き付いている…嫌な記憶として』
そうひとりごちる。
そして映像が頭を過ぎる。
守りたいと思っていた、世界が終焉を迎える瞬間が。コントロールルームの赤い非常灯が。聞こえるはずのない、人々の怨嗟の、悲嘆の声が。…自身が持つ罪の意識が。
連日の残業。
自分が開発した並行世界移動技術。管理できるのは自分しかいなかった。
その起動キーを操作できるのも、並行世界移動技術の仕組みを完全に理解できるのも自分だけだったから。毎日の如くその技術の管理に追われ、体調不良のまま職務について、蓄積していた疲れのせいか不意に転寝をしてしまった自分がいた。
結果、エンジンの誤作動を見逃した。
かつての世界が自分のミスで崩壊して、自分もその崩壊に巻き込まれ、辛うじて残った精神体の欠片が並行世界移動技術の作用でこの世界へ変に介入したせいで、ごく狭く人のいない所に流れ着いた。
憧れだったベアトリーチェ、血は繋がらないけれどとても大切な弟たちのガブリエル、エアハルト。その他、憎たらしい顔をした元首も、性根から腐りきった政治家たちも、名も知らぬ人々も、見慣れた街並みも、太古から命を繋げる自然でさえも。
いかに醜かろうと、それでもみんなを守りたかった。
それらをこの技術で、この知識で守れるのなら、自分の持てるものすべて…この命でさえも差し出すつもりでいた。
………それなのに。
だが、守りたかったはずのみんなはもういない。
残ったのは、半分だけ残った自分の精神体。
大切なものを失った悔しさの後に訪れた寂しさ。
決して忘れやしない。僕が僕である限りは。
だから、僕は誓った。
『自分のせいで失ったくせに、会いたいと思った。君は、もう誰かを失いたくなどなかったんだろう?』
自分の回想を読み取っているかのごとく、彼は静かにそう尋ねてきた。
ただ無表情なのが、何故か恐ろしかった。
本当に彼は何者なのか。もしかしたら、僕が自身に対して持つ断罪の意識の集合体なのかもしれない。それが、僕の天敵に近い彼の姿をトレースしているのかもしれない。
『そうだ。だから、僕は神になりたいと願ったんだッ!』
『だから?』
問いかけに答えると、淡白な反応を返される。
取り敢えず、無視されてはいなかった。
それに少しだけ安堵したのか、舌が回り始める。
気が付けば、彼女…レナスにさえ言ったことのない事を口にし始めていた。
『…並行世界移動技術を応用して、自分の望むように…もとの世界に戻りたくて、変えていったはずだった…』
『で、君はどうした?』
『いつかは、この世界を科学技術の発展半ばで失ってしまった故郷のコピーとして完成させることを目標にして、科学技術のレベルも急激に上げた。何もかも同じにした!…人の形だって故郷で見かけた人々の特徴をそのまま生かした』
『……そうか』
『時が経つにつれて次第に褪せていく記憶の中を必死で探っては、思い出せるものをすべて注ぎ込んだはずだったんだッ!ガブリエル、エアハルト、ベアトリーチェの生き写しのようなものを何体もつくった…だけど』
『だが、所詮はコピー。時間が経てば上手くいかなくなり、失敗してはデータの削除の繰り返し。君が誰かのデータを消すという事はこの世界のその人物が死ぬということ。間違いなく多くの人々が失われてしまったんだろうな…「故郷のコピー」の完成に没頭するあまり、自分の「失いたくない」という願いを忘れていた。…君は自分で自分を裏切ったんだ』
急激に現実を突きつけられたようなショックだった。彼の言う何もかもが正論であるかのように感じて何も言えず、ただ黙っているしかなかった。
『そして人を殺すという感覚を、データという数値と文字でしかない情報で誤魔化し、ついには感覚が麻痺してしまっていたのさ』
そう付け足して、彼は嗤う。
さっきの部分だけでも相当痛かったのに、まだ彼の言葉は終わりそうになかった。
『いつしか本当に自分を神だと、全知全能で人の生死すら操れるのだと、勘違いしてしまっていた。それは、意識に頑固にしみ込んで離れない。何故なら、一度願った事が”叶った”からな…そりゃしがみつきたくもなるさ。…だから、過酷な試練を考えては誰かに与えてみたり、いっそ死に追い込んでみたり。そんな風にレナスをベアトリーチェの複製体として作り上げ、彼女にスパイの真似事もさせたんだろう?お前には取るに足らない実験のように』
レナスの件については、正論だったが、一つ重要な事が抜け落ちている。
世界の監視役としてではなく、己のかつての些細なミスで世界に自分の存在を知らしめ、自身の存在する空間へと繋がる扉を開くべく生み出された、ちょうど目の前にいる彼の”本体”=”鍵”の監視役としての任務も負わせていたという事を。
『実に愚かな事だ。だが世界はその勘違い甚だしい行為すらも寛容に受け入れていた。君はその事に気付いていなかったんだよ』
そう、彼が嘲笑する。
自分が過ちに気付くには遅過ぎたのだと暗に含めて。
彼の全てが自分の持っている弱点を突く。それもほぼ正確に。
『——そう、僕は気付くのが遅かった。それならばどうしようもない、最後のこの世界に対する干渉だ。世界が僕の存在を消すことを覚悟した上で彼女と戦おう。己がしてしまった事と向き合わなければいけない事にようやく気付いたんだ』
『そう、やってみればいい。本当にそれができるかどうか…』
彼が薄い笑みを浮かべていた。
その笑みには、哀れなものを見るような成分も含まれていたが。
□□
そして、二人が同時にそれぞれの弱点を確信する。
「やはり、私の弱点はこれですね…分かってはいたつもりですが」
「ふうん、やっぱりか」
「彼さえどうにかすれば…あるいは…」
「やっぱり、ああするしかないかな」
□□
「…まさか、DID?」
「こいつにベアトリーチェとかガブリエルとかエアハルトを入れた覚えはないはず……何でこんな所にいるんだ!?」
「なるほど、そう考えると今までの態度に納得がいくかも知れませんね」
「……やっぱり、僕はこいつに人格を加えていない。……君たちは、ここにいたのか……!!やっと、見つけた…」
□□
レナスにとって彼が弱点となる要素は「クリストフ=N=L=クロイツァー」という個体そのもの。
イヴリンにとって彼が弱点となる要素は、彼が持つ「ベアトリーチェ=クルティス」と「ガブリエル=ブライトクロイツ」、そして「エアハルト=ブライトクロイツ」という3つの人格。