No Title Phase:03

Phase:three

あれから、2ヶ月が経った。
伯父がくる前となんら変わりの無い、そんなクリストフの日常を突如変えたのは一本の通信。
「閣下、通信が入っています」
「ん?…ああ、分かってる」
クリストフが軽く昼食を済ませ、任務(今回の任務内容は敵の情報収集)をするために自分に宛がわれた執務室へ帰ってくると、副官のレナス=アーヴィング大尉に通信が入っている事を告げられ、彼は受話器を取って話しかけた。
暫くの雑音の後、オペレーターの音声が受話器から聞こえてくる。
「オペレーター。こちら、クリストフ=N=L=クロイツァー少将だ」
『こちら、オペレーター。——クロイツァー少将、外部より通信が入っております』
「外部?珍しい事もあるんだな——ああ、いや、気にしないでくれ…独り言だ。…それで、どこからなんだ?」
受話器の向こうのオペレーターが淡々と相手の名前を告げると、クリストフはみるみるうちに体から血が引いていくような感覚にとらわれる。
外見にはその様子が出ていない事を切実に祈りたい。
そんな感覚にとらわれたのは、あの人が絡んでくる内容だというのが容易に理解できたから。
——そう、オペレーターが告げた名前は、伯父の入院していた病院だった。
背筋に一筋のひやりとした冷たい汗が伝った、気がした。
「———分かった。できるだけ早く繋いでくれ」
『了解しました。少々お待ちください』
自然に眉間に深く深く皺が刻まれる。
クリストフの胸の中を何とも形容しがたいざわめきが掻き乱す。

(何か、とても嫌な予感がする。)

しばらくして、今度はオペレーターの声とは違う声が聞こえてきた。
柔らかそうな物腰、それでも厳しさを感じさせる男の声だ。
『突然のご連絡、申し訳ございません。私、セント=カタリナ大学病院院長のアルフレッド=ウィリアムズと申します』
「こちらこそお待たせしてすみません、クロイツァーです。先生、ご用件とは何でしょうか?」
相手は自らを大学病院の院長だと名乗った。
クリストフも挨拶ついでに自らの名前を名乗る。

(セント=カタリナ、だって…?)
『……あの、そちらにどなたかいらっしゃいますか?』
おずおずといった感じのする病院長の問いに、クリストフは上半身だけを捻って自分の後ろを見やる。その視線の先には自分の副官のレナスだけがいるが、彼女は彼の視線で意図を感じ取ったのか、敬礼を一つして退出していった。
多分、通信が切断されるまで彼女は廊下辺りにでもいて、この部屋には入ってこないだろう。
雰囲気とかいった類のものを敏感に感じ取れる人だから。
こういう人を「空気を読める人」というのだと、日本出身のアカデミーのクラスメイトが言っていた。
彼らから聞いた話で、日本というのもなかなか興味深い国だと思った記憶がある。
「いや、今出て行ってもらいましたから…大丈夫ですよ」
捻っていた上半身を元に戻しながら、思考を切り替えて受話器に向かって話す。
病院長は受話器越しに「そうですか」と反応を返した。その声に心なしか安堵が滲む。
昔から、いろいろな経験をしたためか、こういう感情の読み取りは得意なのだ。
『ならば、構いませんね。それで…本日連絡を差し上げました用件というのはですね、クロイツァーさんの伯父さまの事なのですが……』
「…………伯父がどうかしたのですか?」
クリストフの問いに、病院長は非常に言いにくいのか、ゴホンと大きくない咳払いをした後で言葉を詰まらせながら申し訳なさそうに、けれどはっきりとした口調で先を続けた。
胸を先程から掻き乱している、あの嫌な予感は更に強まった。
『ええ……。クロイツァーさん、あなたの伯父さま…ヴォルフガング=G=クロイツァーさんが本日の13時06分00秒にお亡くなりになられました。彼の診療録(カルテ)の家族欄にあなたのお名前がありましたから、こちらにご連絡をさせていただいたのですが…』
「伯父が亡くなりましたか」
『我々も手は尽くしましたが…残念ながら。それにしても軍の方でしたか』
「ええ。お手数をお掛けして申し訳ございません…私に繋ぐまでがご面倒だったでしょう?…ですがこれも軍の規則なので、どうかご理解していただきたいのですが」
嘘だ、信じられないとかそういう言葉や涙は何故か出なかった。
ただ、「亡くなりましたか」などという言葉が滑らかに零れていく。
まるで他人事、外野から「今」を観察しているかのようだ。

なあ、こうなってしまったのは、いつからだった?
何もかもが狂い始めてしまったのは、いつからだった?
体の底で、誰かが問いかけてくる。
それを、敢えて聞こえない振りをしてやり過ごす。
「…………それで、死因は?」
『がんでした……それも全身に転移した末期のもので』
「……そうでしたか」
病院長の報告を聞きながら、クリストフは考えていた。
進行がもはや止められない末期がんならば、もう疼痛を抑えるくらいしか手はなかったのかもしれない。手術はできない、恐らく抗がん剤もあまり効果を示さなかったのだろうから。
2ヶ月前に会った伯父は健康そうな印象だったが、あれは巧妙な嘘だったのか。
そもそも、末期であったとしても外出できるのか。出来そうには思えないが、ありうるのかも。
外に医療スタッフでもいたのか。
現在の医学にはあまり触れていないからよく分からないが。
そう言えば、あの時は若干苦しそうだった気がする。
もしかして………と考えて、止める。今更、そんな事を考えてもしょうがない。過ぎ去った過去はもう巻き戻せないのだから。
「そうですか。今まで伯父の事を有難うございました。」
『伯父さまのご冥福をお祈りいたします。——ところで』
病院長は通信を切らずに続けた。
クリストフは「まだ何かあるのですか」と問いかける。
『伯父さまの御遺品はどうされますか?』
「ああ、今週末までには取りに行くようにします。それまでは、保管をお願いしたいんですけれど」
『かしこまりました……それでは』
「ええ、連絡有難うございました」
静かに通信を切る。
あの2カ月前の直感は間違っていなかったと今更ながらに思いながら、執務机の椅子に腰掛ける。
行儀悪くも机に両肘をついて、両手で顔を覆う。
顔を覆った両手の下では、伯父の空色の瞳とはまた違う、海のような色合いの瞳がくしゃりと歪められる。そして静かにため息を零した。
「………………人の死には慣れたはずだが、その後の妙な感覚を拭い去れない、か…何でなんだろう」
そうひとりごちる。
□□
心の奥のどこかで、誰かが、あるいは自分が望んでいた、伯父からの解放、だったはず。
その誰かが喜んでいるにせよ、それを喜べない自分もいた。
ある意味で子供みたいに純粋だった伯父というひと。
伯父に、伯父自身の記憶を代償に得た、一種の「純粋さ」を感じた。
そんな伯父にクリストフ自身救われていたような気がしていた事も事実だったから、きっと「自分」は喜べないのだろう。
——しかし、もういなくなってしまったのか。
「——もう、さよなら…なんだな、ヴォルフ伯父さん」
顔を覆っていた両手を外し、呟いた。
その下の顔には、戸惑いと悲しみの綯交ぜになった表情が浮かんでいて…今にも泣きそうだった。
(だけど、どうして俺の家族は俺だけを残して先に逝ってしまうんだ。母さんも。父さんも。そして、今日逝ったというヴォルフ伯父さんも。この世界に神がいるとするなら……そんなに俺を孤独にしたいのか、神とかいうのは。)
思わず悪い方向へ考えが働いてしまい、否定するようにかぶりを振ると、瞳に映る視界が涙でぼやけ始めた。それに水を差すように、こめかみのあたりに一瞬、ピリッとかすかな痛みが走った。

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