No Title Phase:05

Phase:five
——オレにしては珍しく2日間の休暇がとれたんだ。だけど、やるべきことは結構ある。
久し振りの休暇の朝。
珍しくよく寝ていた彼は自宅のベッドの上で大きく背伸びをした。
その時に背骨が大きな音を立てて鳴る。
背骨の鳴った音に「あぁ…」だか「うぅ…」だか全く判別がつかないような低い声音で唸る。
(——今日のうちに済ませる事は済ましておかなきゃな。)
ぼんやりとした眠気に脳の大半を支配された頭でこれまたぼんやりと考えながら、顔を洗おうと洗面台に行き、不意に洗面台の上に備え付けてあった鏡を凝視した。
(——理由なんか無いってのに、何でオレは鏡なんか覗き込んでんだろ。)
そうは思ったが、どうやら笑う気にもなれないらしい。
鏡越しに、黒い髪を所々跳ねさせ、髪と同じ色合いの眉を吊り上げ、深い青の瞳を半眼にした、明らかに不機嫌そうな男が自分を凝視し返していた。
鏡に映る自分自身に一つ呆れた様な溜息をこぼした。
次に髪を整えて服を着替える事にした。
眠気が完全に取れていないクリストフが大欠伸を噛み殺しながら選んだのは、黒いスーツ。
クローゼットの大部分を白や青など淡い色合いのシャツとダーク系のスーツが占めていて、それらに比べると一目で分かる位に少ないカジュアルな服が隅に追いやられている。
そろそろ服を買いに行くべきかと思いつつ、まあいいかと考える。
どうせ服に興味がないから。基本的に無頓着なのだ。せめて何か一つだけでもいいから執着したらどうだ、と言われたことは記憶に新しい。

身に纏ったワイシャツのボタンを上から2、3個外し、ノーネクタイ状態で上着には腕を通さずに羽織る。それから、適当にネクタイを引っ掴んでリビングに戻り、ダイニングテーブルとは違う、もう一つのテーブルの方に目をやってテレビの電源を入れる。

テレビの電源がきちんと入っていることを確認して、眠気覚ましにコーヒーでも一杯飲もうかと、コーヒーメーカーが置いてあったはずの台所に足を向ける…が。
「あ?——ここじゃないってか」
台所に見慣れたコーヒーメーカーの姿は無くて、彼はぼそりと呟いた。
どこだろう、と辺りを見回して…————あった。
——それも、さっき目にしたばかりのテーブルの上に。
「ここにあったのかよ……見てなかった…ふぁ…」
オレは頭をかいてから再び一つ大きな欠伸をして、戸棚からコーヒーカップを適当に選んで取り出す。
手の中には、ただの真っ白なカップ。
そのまま、コーヒーメーカーにカップとコーヒーの粉、フィルター、そして水をセットし、電源を入れる。

今日、すべき事なのは…午前中にヴォルフ伯父さんのものを引き取りに病院に行くことと、夜には義父さんとの「食事」ってか。
特に後者には行きたくねえなぁ。…できれば前者にも行きたくはねぇんだけど。
何となく朝食を食べる気にはなれず、コーヒーが出来るのを待つ間に、さっき電源を入れておいたテレビに目をやる。
ちょうど天気予報が流れていた。
今日の天気は、曇り時々雨。
降水確率は午前は20%、午後は70%。
天気予報の雲と傘のマークが表示された後には「傘を持ってお出かけください」と画面の中の天気予報士の女性が言っていた。

車で行く予定だが、念のために傘を持っていこうか。

一連の流れをざっと見てから、チャンネルを変えてみるが、特段彼の興味を引くものは何も無い。
流れるものは同じ事を繰り返すニュースばかり。朝のこんな時間にバラエティなど放送しているわけがない。
オレ自身はバラエティ好きなんだが、残念だ。
つまらないと思いながら、テレビの電源を落とした。

そうしていると、お湯の沸くような音が耳に入ってきた。どうやらコーヒーが出来たらしい。
コーヒーの独特のにおいがリビングに漂い始める。
ようやく頭が覚醒してきたような気がする。
最後に伸びを一つだけしてから、湯気が立ち上るコーヒーカップを手に取って、沈黙したテレビの前のソファに座り、コーヒーに口をつける。
喉を通っていく熱さに、大切な忘れ物があることを気付かされた。

———慣れたあの重さが、無い。
「あ、ピアス…してねぇな」
最近はその存在を忘れてなどいなかったのに、今日に限っては忘れていた。
慣れていなかった昔ならまだしも、今となっては体の一部のようなものだった筈なのに。
(そこまで疲れていたのかもしんねぇな。何か知らんが、注意力が散漫になってやがる。あぁ畜生、憂鬱だな。)

そんな事を考えつつ、頭をかきながらコーヒーカップをテーブルに置いて、ピアスがある筈の所へ足を向ける。つまりは、つい先刻まで彼が眠っていた寝室。
今度はコーヒーメーカーの様には間違えなかった。
その場所に彼愛用のシルバー(プラチナだったかもしれないが)のピアスは確固たるものとして存在していて、彼はそれに溜息をついた。ある場所は分かっていたというのに、見付けられたという安堵感はどうしても止められなかったのは本当にどうしようも無い。
彼はそっと壊れやすい物を扱うように拾い上げて、手慣れた動作でピアスを着ける。
慣れた固有の重さが耳に加わっているのにようやく安堵する。
「これでいいか」
誰にともなく呟いてみることで満足してみると、突然インターホンが鳴った。

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