No Title Phase:07

Phase:seven

車でクリストフのマンションまで来ていたコルネリウスは、彼付きの運転手に行き先を告げて車の運転を任せ、自分はクリストフと一緒に後部座席に座っていた。
静かにエンジンが稼働し始め、車が動き出す。
病院へ向かう途中の車の中で。
「——シュトッフェル。お前に言い忘れてた」
「何をです?」
「いやぁ、微妙に言い辛いんだけどな。あれでもヴォルフ兄はクロイツァー家の代表だったんだ。10年前からは俺が代理として務めてたけどさ」
「…まさか」
「おぅ、そのまさかさ」
「…………」

コルネリウスは大袈裟に肩を竦めて話を続けた。クリストフは微妙に声を強張らせていたが、じっと話を聞こうと思ったのだろうか、口を閉ざしてただ隣に座る自らの叔父を見つめている。

「あぁ、何年前だったかな…。まだヴォルフ兄が安定してた頃にさ、当時戦場を駆けてたヴェル兄じゃなくてな、俺んところに来てさ、こう言ったんだよ。——『私にもしもの事があったら、クロイツァー家当主…いや、代表としての権限をヴェルナーか君に…万が一、最悪の事態が起こった場合にはクリストフに委ねたい』ってな。」
「…………」

長兄の言葉を一字一句間違えずに、そこまで言い終わって、そっと甥の方を見やると、彼は額に手を当てて何かを真剣に考えているようだった。その状態に介入するのもどうかと思い、そのまま続けることにする。

「………結局、ヴェル兄は戦死して、ヴォルフ兄は…ああなっちまったから、俺にその権限は回ってきた。こうやって、10年位やってると、ヴォルフ兄がやってきた事って大変だな、なんて柄にもなく思ったりしてさ…なんて言えばいいかさっぱり分かんねぇな、まぁかなり疲れたってわけだ。ただでさえ、社長なんて堅っ苦しいもんやってるんだからな」
「……今度は代表役が俺に回ってきたと考えていいんですよね?」

甥からの反応は比較的すぐに返ってきた。
しかも、(叔父の期待する)正しい答えを導き出したうえでだ。

「随分と察しが早ぇな?——驚いたぜ」
「文脈上です」
実に淡々と無駄のない返答を寄越してくれたものだとコルネリウスは思うのだが、クリストフの理解が早ければこちらの方も話が早く進むのも確かだ。彼は唇に笑みを乗せて続けた。

「………実際、その通りなんだ。今のところお前にしか役は回せねぇんだよ。なんせ、今の一族は俺とお前と、テトラリスにいるクリステルだけだからな…代表さんは今だと結構楽かもしれねぇけどさ?」
「———分かりました。引き受けましょう……ところで、うちって銀行も経営しているんでしたっけ?」

今度のクリストフは何故かにこりとし、爽やかな笑顔を浮かべながら、叔父に尋ねてみた。何故か嫌な予感がして、コルネリウスは背筋がうすら寒くなったような気がした。

「ああ、そうだが?…でもまぁ、今のところは俺が総裁で、実質的な経営は他の奴に任せてるけどな…っておい、まさか」
「はい。——早速クロイツァー家代表の権限でも使って、まあ口座があればの話なんですけれど、ディクソン家の口座を無期限で凍結してもらおうかな、と」

コルネリウスが『そんな事を真剣に考えてたんかい』などと思いつつ半眼になって尋ねてみると、クリストフは爽やかな笑顔を崩さないままで、コルネリウスの想像通りの答えを言い切った。『爽やかなはずの笑みを浮かべている彼の背後に何か黒い靄のようなものが立ち上っていた』などと後に叔父は語った。

目が怖いくらい本気だった。「できるでしょう?」と甥の目が物語っていた。
凍結『してもらおう』では無くて、もはや凍結『させてやる』と聞こえたのは気のせいだっただろうか?
——改めて、甥は怖いなどと思ってしまった叔父ことコルネリウスであった。

今までの話題を断ち切ったのは、この空間にいるもう一人の人物、つまりは運転手だった。

「——社長、クリストフ様。到着いたしました」

運転手が今までの内容など気にも留めていなかったような声音で到着を告げる。
いつの間にか、伯父の病院に着いてしまっていたらしい。

「あぁ、用が済んだら連絡を入れる。——ほれ、シュトッフェル降りるぞ」
「はい」

二人は車から降りて、颯爽と正面玄関をくぐりぬける。
待合室を兼ねた広いロビーに彼らの姿が現れると、そこにいた人々が一瞬どよめいた。

二人のうち一人は、世界有数の企業の社長であり、地球で最大規模とされるコンツェルンの実質的なトップである、コルネリウス=C=A=クロイツァー。もう一人は、「執行者」とも呼ばれる地球連邦軍屈指の若き将軍、クリストフ=N=L=クロイツァー。
恐らく、誰もが一度はテレビの画面ごしに見た事のあるクロイツァー家の人間の登場だ。
自分たちを注視する周囲の人々の視線を気にする事もなく、颯爽と進んでいく。
人々は彼らの通り過ぎた後を目で追うが、彼らはすぐに人々の視界から消えてしまった。
まるで幻のように、人の目を惑わせるだけに現れたかのように。

二人は待ち構えていた一人の医師と合流し、それぞれの伯父・兄である男の遺体が安置されている場所へ案内された。

「——こちらです」

医師が足を止めた部屋の扉を開けると、そこは白で統一された、殺風景と言えば殺風景な空間が広がっていた。
部屋を彩るものは小さな祭壇と一台のベッド。
そして、ベッドサイドに置かれたひとつの箱。
ベッドの上には、会ってから久しくなりかけていたヴォルフガングの抜け殻となった体。

「私は外におりますので、お帰りになられるようでしたら仰ってください」

医師はそれだけを言い残して、扉の向こうに消えた。
その一連の行動をクリストフとコルネリウスは黙って見送った。
しばらくその動作を継続した後、ヴォルフガングのベッドへ視線を移す。

沈黙の中。
やつれているにもかかわらず、穏やかな顔で眠る、ヴォルフガング=G=クロイツァー、その人。
血の気が完全に引いた青白い肌。冷たく、硬くなった体。神に祈るかのように胸の上でそっと組まれている、痩せ細った両手。
多分、内臓はボロボロになってしまっているのだろう。

沈黙を破ったのは、どちらが先だったかなんて分かりはしない。

「お久しぶりです、伯父さん」
「久しぶりだな、兄貴」

返ってくる答えは無いのに、敢えて語りかける。
ひとりごちるように。
それ以外は静まり返った空間。

「最後のご挨拶にやってきました」
「最後の挨拶に来たぜ」

クリストフもコルネリウスもまるで一人で来たかのように、独立して話しかける。
内容は全く同じようなものなのに。
結局はけじめをつけるために、二人はここへやってきたのだ。
クリストフにとっては手に触れそうな距離にあったただの伯父ではなく、彼が無くした純粋さの象徴としての伯父との。
コルネリウスにとっては今まで迷惑をかけてきた、まさに親だった、尊敬すべき長兄との。

「俺は、コルネリウス叔父さんから代表としての権限を頂きました」
「俺は兄貴の言葉通りに、シュトッフェルに兄貴の代理として、代表としての権限を渡したんだ。——いいよな?」

長い間の沈黙。実際の沈黙が何分位続いたかなんて分からない。
しかし、それが永き眠りに就いたヴォルフガングが生前の穏やかな声で返答してくれているかのようで、彼らは沈黙に浸っていた。

「——伯父さんはお会いしたことが無いでしょうが、俺には双子の、クリスティアーネという姉がいるんです。俺と同じ…遺伝子操作される、という運命をたどった姉です。本当は、クリステルもここにいてくれれば良かったんですけれど、どうやら彼女はテトラリスにいるらしくて…無理だったんです」
「兄貴は見た事が無かっただろうが、シュトッフェルの双子の姉貴にクリスティアーネってのがいてな。出来れば、そいつにも立ち会ってほしかったんだが、生憎テトラリスにいて…無理だったんだ」

再び訪れた、僅かな静寂。

「——ええ、分かっています」
「——勿論、分かってるさ」

二人同時に胸の前で十字を切って、ヴォルフガングにそっと囁く。

「どうか安らかに…」
「だから、安心して眠っててくれよな」

そして、コルネリウスが部屋の扉を開け、外で控えていた医師を呼ぶと、ベッドサイドに置かれていた箱を手渡された。それを「御遺品です」と医師は言った。彼はその箱をクリストフに渡し、クリストフはその箱の蓋を外して中を覗いた。

言葉が出なかった。

中にあったのは、父親の指輪をヘッドにしたペンダント。
そして、いくつかの書類。財産相続に関する書類。保険証書。それから、書きかけの死亡届。
自分がもうすぐ死ぬという事を分かっていたかのように、重ねられていた書類たち。
そんな準備をしているとは、2か月程前の伯父の様子からはとても考えられなかった。

その中に書類とはまた違う風合いの紙が挟まれていたのが気になって引っぱり出してみた。
A5サイズのノートを1ページ引き千切ったような紙に走り書きのように記された文字。

クリストフへ。
お前がこの手紙を読んでいるのなら、私はもう死んだのだろう。
お前に言えなかったことを伝えるべく、私は今、あまり力の入らない手でペンを取っている。
何度でも「言わなければ」と決心していたが、私はあまりにも臆病で言えず仕舞いだった。情けない、言い逃げをするようにしか思えないかもしれない。だが、どうか知っていてほしい…否、己が為に知らなければいけないのだ。

まず、謝罪しなければならないのは、私が精神障害に罹った振りをしていた事だ。
だから、エヴァンジェリンやヴェルナーが死んだことも覚えているし、お前の姉がいるということも知っている。
しかし、そんな振りをしても、結局は私の汚点を晒していただけだったに違いない。

最も謝罪をしたかった点は、私はお前の出生の秘密を知っていたという事だ。
「軍に救いをもたらすために協力してくれないか」と、私が地球連邦軍上層部に話を持ちかけられた事に起因する。それに関して、最終的な判断は私が下したものであり、お前の父親であるヴェルナーが下したものではない事をせめて、知っていて欲しかったと思う。
私の判断故にお前たち家族が引き裂かれるという事態を引き起こしてしまっている事も。
今更で申し訳ないとは思うのだが…。

クリストフ、もしお前が自らの出生の秘密を知り恨んでいるのなら、私を怨んでくれて一向に構わない。
全ては私に責任があるのだから。許してもらえるとも思っていない。
だが、せめて真実を知ったうえで、よく考えて人生を歩んで欲しい。
間違っても、自らの手で命を落とすような真似だけはしないで欲しいと思っている。それが、私の最後の願いだ。

今は亡きヴェルナー、そしてコルネリウス。我が弟たちよ。
どうか、クリストフとクリスティアーネを支えてやってほしい。
彼らこそ、我々の最後の望みなのだから。

最後に、今までありがとう。
手から、はらりとノートの断片が滑り落ちた。
クリストフはノートの断片を持っていた右手で顔を覆って呟いた。

 

「どうして、あなたは。」

 

その声はあまりに小さかったけれど。

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