Phase:ten
病院に来た時と同じく、車で自宅まで送ってもらう。
車内は行きよりも若干静かだった。
いろいろと話している後部座席の二人の間には白い箱が一つ。
やがて、自宅マンションのエントランスの前に車が止まり、降りる側の人間であるクリストフは叔父の方に向き直って、頭を下げた。
「じゃ、どうもありがとうございました」
「あぁ、気ぃ付けろよ?ああ見えても、ディクソンは結構手強い奴だぜ」
「勿論、分かっていますよ」
『頭、上げろよ』というように手振りをして、コルネリウスはクリストフの肩に手を置く。
それに従って、クリストフは顔を上げた。
そして、浮かんだ微かな笑み。決して暗い感情を映し出していない笑み。
彼が滅多に見せない表情に、コルネリウスは目を丸くしかけたが、すぐに目元を緩める。
「なら、いいんだ」
「………ありがとうございました。…よろしくお願いしますね」
「ん、オッケーだ。じゃあな」
クリストフはさっさと車を降りていった。その後ろ姿が、自動ドアの向こうに吸い込まれていくのを車窓からじっと見送る。
何となく彼の父親にそっくりな気がした。
あの、無駄なものがないくせにやけに逞しく見えた次兄の背中を思い出した。
そういや、あの無駄のなさそうな体つきも似ている。
よく考えれば、彼と父親はいろんな点でよく似ている。
骨格、顔つき、髪の色、瞳の色、ちょっとした仕草なんか特に。あ、でも髪の毛の色はもう違う。なんかよく分からないが、黒から銀色というかプラチナブロンドのような色合いになってしまっている。
その一方で、母親の要素もきちんと含まれている。
例えば、肌の色素の薄さ、爪の形、横顔なんかも良く似ている。
姉のクリスティアーネも似ているのだろう。彼らは自然に発生した異性一卵性双生児だから。
受精卵段階で遺伝子改造をして両方共に特定の遺伝子を挿入したりしているが、それ以外には手は加えられていなかったはずだ。
何となく思い出してみた。自分たちが今まで何を伝えてきたのか。
「そういや、命名法とRh式血液型とかクロイツァー家の歴史、財産は代々受け継いできたものだよなー」
だが、思い付いたのはそれ位。たくさんあると思いきや、意外にも伝えてきたものは少ない。
現在となってはもうあまり意味を為さないものが多い。財産以外。
ならば、新しく作り出して与えるべきか。
だが、現在の自分に何が作り出せるだろうか。答えは今見つけられそうにない。
だから、せめて彼にエールを。
「……もう負けるなよ、シュトッフェル」
再び走り出した車の中でそっと、コルネリウスはひとりごちる。
『もし神がいるというのなら、どうしてそいつはあの子にこんな目にばかり遭わせるのだろうか』といるかどうかさえも分からない神を責め、『クリストフの”これから”がうまくいきますように』と、信じる神もいないのにそう祈った。
一方、マンションのエントランスで叔父の乗った車が走り去っていくのを見送ったクリストフは、足音が響くような黒い大理石で出来た、ひやりとしたエントランスを進んでいく。
自宅に戻り、休みたかった。頭が、痛い。
エレベーターに乗って、自宅のある最上階まで昇る。エレベーターホールから伸びる廊下を一番奥まで進むと、そこが自宅だ。
そして、その日はもう外には出なかった。いや、出られなかったと言うべきだった。
月に1度以上は出てくる、それもいつ出始めるか分からない…言わば持病のような高熱が今日出てしまったのだ。
どうやら人格交代による影響ではないらしい。
これは不味いと、熱に浮かされた状態で義父にも食事には出席できないと電話越しに伝えた。
クリストフが正直に理由を話すと、あのいけ好かない義父も”その日ばかりはしょうがないな”と苦く笑っていた。昔とは違って、理解はしてくれているようだ。
自分がいくら彼らを憎んでいようが、その分は嬉しい気持ちになれる。
本当は、きちんと話すべきことは話したかったのだけれど。
□□
彼の高熱は大体一晩寝ていれば治まることが多く、今回の熱もそうだった。
翌日の朝、体温を測る。
37.3℃。問題ない、平熱だ。ほっとする。
「さて、と。まだやる事はあるしな…また出かけないと」
ベッドの上で上体を起こして、天を仰ぐ。
それからため息交じりに呟いて胸元に手をやり、昨日ジャケットを脱いだだけでベッドに倒れ込んでしまい、すっかり皺になったワイシャツの下に隠れていた銀色の鎖を引っ張り出した。もう1本増えて2本になった鎖がしゃらりと細かな音を立てて空気に触れる。
あの白い箱の中からクリストフが引き取った唯一のものだった。
それは、かつて家族をつないだ指輪の一つ。父親が持っていたもの。
既に彼が持っていた2つの指輪を含めて、3つの指輪がぶつかり合って澄んだ音を立てた。
それをどこかいとおしむ様な、懐かしそうな様子の籠められた眼差しで見つめてから胸元に再び落とす。最後にもう一度祈るような気持ちでそれを見つめて、後の用事を済ませていった。
□□
それから二、三カ月後だっただろうか。
取り合えず夏の暑さはかなり和らいで、涼しさが勝ってきた。
特に何事も無く、比較的平穏に仕事をこなしてようやく得た休暇。
それを、今のところ唯一の趣味である読書をして過ごしていた。
ちょうど、いま読んでいる本を読破したところだった。
『———クリストフ、いる?』
「———ッ!」
不意にインターホンから声が聞こえ、モニターに訪問客の映像が映った。
ピンポーンという呼び出し音が聞こえなかったのは、半端に受話器をかけていたせいだったようだ。
あまりにも聞き覚えのある声に、その姿に一瞬肩が強張る。
念のためにLEDの色から判断すると、エントランスからのものだと分かる。
『クリストフ、いるのよね?』
「…マリーベルさん……」
クリストフがインターホンの受話器を耳に当てて言葉を発すると、声の主は微笑んだ。
何処となく、見る人が安心するような微笑みに彼は肩の力をゆっくりと抜くことができた。これも時間のなせる技なのか。
そんな仕草を見やり、女性…マリーベルは手で扇ぐような仕草をしながらエントランスのカメラに歩み寄る。
『そうよ。久しぶりだわね…話したいことがあったのよ』
「俺もあなたにお話ししたいことがありまして……中へどうぞ」
『そうしようかしら。……ここでお話しするのは嫌だもの』
とりあえずロックを解除しておく。
クリストフがロック解除した旨を告げると、マリーベルはさっさと中に入って行った。
義父に言えなかった事を彼女に言わなければ。例え、断られても諦めはしない。
彼女の姿をモニターで追いかけながら、彼は過去のことを思い出していた。
あの頃の記憶は、できれば思い出したくはなかったけれど。
イヴァンとルイが傷ついて苦しんだあの頃。