Phase:thirteen
『さて、どうしてくれようか…なぁ、ジェレミー=R=ディクソン並びにマリーベル=ディクソン?』
目の前にいる、征服したと思っていた少年、クリストフ=N=L=クロイツァー…いや、征服したと思っていた”クロイツァー”が不敵に笑った。やはり、目は笑っていない。
全てが音を立てて崩壊し始めた。
完全な計画だったはずだ。長年かけて練り上げて、完璧にしていたつもりだった。
彼を叔父(コルネリウス=C=A=クロイツァー)が迎えに来る前に誘拐して、自分たち(ディクソン家の人間)の命令だけを聞く忠実な人形に仕立て上げる。それと同時進行でクリストフを人質にコルネリウスを脅迫し、クロイツァー=コンツェルン全てを自分の手中に収める。その状態で彼を使って地球連邦軍の内部から革命を起こし、自分がその頂点に、つまりは地球の頂点に立つ。現時点での頂点にいる総帥など事故に見せかけて殺すつもりだ。
勿論、それは最終的なゴールではない。積極的に各地に戦争をふっかけて地球が全宇宙の頂点に立つ。
究極の高みに登り詰める為のステップ。長年の悲願。
誘拐はうまくいった。
クロイツァーは脅しに屈した。革命に必要な人員は概ね揃っていた。
なのに。
軍事産業界を大きく動かせるほどの価値と、軍に入隊させれば軍を動かすことだって可能な価値を持つ重要なファクターが、人形となるべきクリストフがイレギュラーだった。化け物を従順な人形に変え、手なずけるためには異常性癖を持つ妻のマリーベルも使った。
それなのに。黒髪の、あの”クロイツァー家最高傑作”ヴェルナー=T=クロイツァーに非常に良く似た化け物はその体の中に、更に化け物を飼っていた。得体の知れない化け物を。
その化け物の所為で形勢逆転された。全てが失敗に終わろうとしていた。
全てはこの化け物の所為で!
『………っ、くそぉぉぉっ!!!』
ジェレミーは床の上で上体を起こしたまま、怒りと悔しさを滲ませた叫び声を上げた。
怒りの籠もった眼でを睨みつけ、床に落ちていた彼自身の自動拳銃を拾い上げて構えた。
銃口の照準はエアハルトの心臓に正確にポイントされている。
そうされている状況にも関わらず、エアハルトは動じない。
それどころか、より一層笑みを深くした。
『撃てるものなら撃ってみればいい………できるものならな』
『貴様ぁ!私をなめるなぁ!!!』
『……ふっ』
エアハルトの完全に見下した物言いに、ジェレミーの頭は完全に怒りに囚われた。
トリガーにかかった指が引かれ始める。
その直後。
エアハルトが急に動いた。
組んでいた腕を解いて、一瞬のうちにジェレミーの右隣りまで回り込んで、左脚を振り上げた。
そのまま、拳銃を構えている腕へと振り下ろす。
体重の掛かった蹴りに、標的の心臓を捕らえていたはずの銃口は真上を向いて火を噴いた。
きゃあという短い悲鳴と何かを打ち破る音が聞こえた直後、天井から建材の破片が降ってくる。
それだけでは終わらない。
今度は右脚をジェレミーの拳銃めがけて振り上げた。鈍いような、弾かれるような音がして、拳銃が宙を舞う。それは綺麗な放物線を描いて、エアハルトの左手に収まった。そのまま、銃口はジェレミーに向けられる。銃口から視線を上に移すと、本来彼が浮かべるべきだった完全なる勝者の笑みを浮かべたエアハルトがいた。
計算されたような一連の動きに、ジェレミーは暗く終わりのない河に突き落とされたような気分になった。誰も助けてはくれないような深い所に。ようやく、怒らせてはならないものを怒らせてしまったのだと気づいた。
『……ば、化け物!!』
真っ先に逃げ出そうとしたのは、マリーベルだった。
恐怖で足がすくみながらも扉にしがみ付いてドアの開閉ボタンを探すが見当たらない。
ここ…現場は、クリストフの監禁部屋だ。彼が逃げ出さないようにと、ドアの内側に開閉ボタンは取り付けていなかった。
いつもなら、ジェレミーかマリーベルのどちらかがドアの外にいて、用が済んだら連絡を取り合うようにしていた。
だが、この時は両者ともドアの内側にいた。よって、外からは開けられない。
ジェレミーの場合は万が一の時のために遠隔操作用の開閉装置を持っているが、今彼の許へ行くのは危険だ。
クリストフという危険なものの目の前に自らを晒し出すことになってしまうから。
『開けて!…開けて!!!』
『卑怯だな…自分だけ助かろうというのは』
必死に叫びながらドアを叩くマリーベルを静かに揶揄するような声がし、その直後に一発の銃声。
錆びた鉄のような…血の匂いが漂う。
そして。
『ぎゃあぁぁぁっ!!!』
ジェレミーの叫び声が響き渡った。
□□
彼を何かに例えるとしたら、きっと私は『深くて暗い終わりなき河のような存在』だと答えるだろう。
彼の与える恐怖。彼の持つ力。その全てが未知数だ。
一体、彼はどこまで……………?
『さぁ、これでも逃げられるかな?マリーベル=ディクソン?』
エアハルトはそう言って嗤った。
手には硝煙をあげる拳銃。その足元には右目を庇って床を転げまわるジェレミー。
彼の右目を庇う手の合間から溢れだす血液が床を濡らしていく。
“お前が逃げようとしたら、こうしてやる”
彼の残酷な笑みはそれを如実に物語る。
見せしめだと言わんばかりの光景を目の当たりにしたマリーベルは床へ崩れ落ちた。
声にならない悲鳴を上げながら。
それを見届けた執行者はおもむろに拳銃を投げ捨ててしゃがみ込み、ジェレミーの服の中に右手を突っ込んだ。
しばらくの間何やら探る動作をして、何かを引っ張り出した。
彼が引っ張り出していたものは、万が一の時のための扉の開閉スイッチ。
それをマリーベルに見せつけるように弄びながら、心底楽しそうに執行者は口を開く。
声音こそ楽しそうだが、目は相変わらず笑ってはいないし、所謂”殺気”というものが彼から放出されていた。
『……旦那を放置して逃げられる?』
垣間見た、執行者の残酷な本質に背筋が震えた。
飼いならそうとしていた化け物はかくも恐ろしいものだったのに、自分たちを過信し、それを飼いならせると思っていた自分たちが恐ろしくなった。マリーベルもまた、ジェレミーと同じように深く暗い終わりの見えない力という河へ突き落とされたような気がしたのだった。
長い長い、永遠にも感じられるような静寂。
それを破ったのは、執行者。
『まぁ、まだ終わらせる気はないさ。あんたの旦那、ジェレミー=R=ディクソンの右目だけでは…まだ足りないな。時間をかけて人生を破局に追い込んでやることにするか……じゃあな』
執行者は美しく残酷に微笑んで、もうこんなところに用は無いとでも言うように手元のスイッチをいじった。
重い音を響かせ開く扉。
柔らかな光が扉から差し込んで暗闇を優しく消していく。
光がこの場にいる全員を包み込む。
光に包まれてもなお動けないマリーベルを尻目に、執行者は光の眩しさに目を細めながら扉をくぐり抜けた。
□□
“久しぶりに温かな光に包まれているな”とどこかのんびりと思う執行者は初めて見るディクソン家の中をふらふら、うろうろしながら出口を探していた。できるだけ早くここを出ていかなければいけない。
唯でさえ、あいつらの所為で力が残っていないのだから力が残っているうちに。
そして、脱出と同じくらい重要なことがある。
それは、新たなクリストフの人格を作り上げること。
この記憶はルイにも渡さない。
いくらルイが苦痛の管理者だと言っても、まだ彼は幼すぎる。
その幼すぎる彼に苦痛を与え続けているのは加害者であり、自分たちでもあるが。
彼をしばらく休ませる必要があった。
苦しみが少しでも和らぐまで。
ふと立ち止まって、限界寸前の神経を研ぎ澄ましてみる。
どうやら、ディクソンたちが追いかけてきている気配は無いようだ。
それに僅かばかり安堵する。
少し時間はかかったものの、何とか出入り口を発見できた。
重たい扉を力を込めて開く。
開いた空間から流れ込んできた空気の清らかさが体に僅かばかりの力をくれた。
最後の力を振り絞って、忌まわしい空間から1歩踏み出した。
歩を進める度、次第に遠ざかる”檻”。
ようやく自由になれたのだと実感する。
だから、決して振り返りはしない。それは忌わしい記憶でしかないから。
しばらくして、全てが限界を迎えた。
力尽きる直前にエアハルトは笑みを浮かべ、深く暗い終わりのない河のような忌わしい記憶を自分の中に抱き込んだ。