Phase:fourteen
『初めまして、私の人形』
『………ねぇ…クリストフ』
『お前は人などではない、ただの人形だ』
『……ねぇ………わたしのお人形さん、”遊び”ましょ?』
『お前はただ黙って私の言うことを聞いていればいい。人形なのだからな』
『………ねぇ!!』
頭の中であいつらの声がリフレインする。
それからワンテンポ遅れて流れる当時の光景。
思えば、もっと早くに決断すべきだったのかもしれない。
そうしていれば、こんな風にならずに済んだのかもしれない。
でも、できなかった。
俺自身の弱さが決断を先延ばしにしてきたんだ。
だから、あんな目に遭ったのかもしれない。
『私たちに力を貸せ。それがお前の生まれてきた意味なのだからな』
『わたしと”xxx”しましょう?』
『言うことを黙って聞けと言っただろう!この人形風情が!!』
『悪い子ね。あなたには”お仕置き”よ。さぁ、膝を床について四つん這いになりなさい…』
あの頃は殴られたり蹴られたり、プライドをも破壊されかけて、あいつらに従わざるを得なかった弱かった自分がいたけれど、今はもう大丈夫だと思う。今度こそは決めたんだ。そして、心の中で精一杯叫ぶ。
煩い、黙れ………もう二度と俺の目の前にそんな面を見せるな!見たくもない!!
——決別を。
□□
「……ねぇ、私の話を聞いてくれているの?」
聞こえてきた鮮明な声に、クリストフは記憶を辿っていた意識を何とか現実に引き戻した。
視界いっぱいにマリーベルの顔。どうやら、彼女はクリストフの顔を覗き込んでいるらしかった。
先ほどまで回想していた所為か、どうしても10年程前の彼女と現在の彼女を比較してしまう。
顔には確かに年月を経た証拠として、シミやシワなどといった老いの色が表われ、彼女はそれを隠そうと必死になって厚化粧をしたようだ。しかし、それは全く意味を成していないように見受けられるのだが。
そして、彼女の瞳はかつての征服欲が失せて、逆にかすかな恐怖が表れているように感じた。
こんな風に顔を覗きこまれるのも、蘇った記憶の所為か嫌になっていた。
思わず顔を背けると、頬に手をあてられ強引に顔を前に向けさせられた。
手も以前のような白く美しい手ではなくて、全体的にやや黒ずんでシミの浮き出た、ほとんど骨と皮のような手になっていた。
この10年で急激に変わった生活の所為だろうか。
「お願いだから、私を見て」
以前の傲慢なような口ぶりもすっかり変わり、懇願するような響きが含まれている。
まだ顔は近いままで、再び顔を逸らした。
そして、何も言わないでおく。
恐らくこれ以上無い位に不機嫌な表情をしているだろう。
「……まだ、私のことは嫌いなの?」
「いえ、そんなことはありません」
間髪入れずに嘘をついた。
本当は嫌いなんてものじゃない、と心の中で告げておく。寧ろ、憎い。
こいつらがいなければ、今頃は違う人生を送っていたのかもしれないと思うと。
当時の記憶が無かった頃(つい最近まで)はまだ憎いとまでは思わなかった。
嫌いではあったが。
けれど、全てを知った昨日という日から。
記憶が無かった頃の記憶が当時の記憶の断片でしかなかったと知ってからは、”嫌い”が”憎い”にあっさりと発展してしまった。
「そう、それなら良かったわ…じゃあ、話を元に戻すわね?私とジェレミーはお互いに事情があって、離婚することにしたの」
それこそどうでもいい話で、わざわざ言いに来るような内容ではないものだと思う。
クリストフにとっては全く関係無いことなのだから。
自分に対してあんな扱いをした家の人間の話など、苛立つだけで興味すらない。
態度にはおくびにも出さないが、内心で苛立ちが募っていく。
くだらない、と思った。そんな事を話しに来たのなら、とっとと早く帰って欲しかった。
□□
次第に、”ここで切り捨ててやろう”という考えと”彼らが『人形』と呼んだ存在に手を噛まれるのはどんな気分だろう”という考えの、2つの冷酷な考えが頭を擡げ、クリストフの頭の中をゆったりと染めあげていく。
それと同時に彼の顔からは表情らしい表情が消え、瞳が青く冷たい光を宿していった。
まるで、本物の人形のように。
「あなたが刑務所で服役してきた件と、ジェレミーさんがやってきたクロイツァー家への脅迫…その他諸々の件ですか」
「…………どうしてそれを!?」
クリストフがぽつりと呟くと、マリーベルは過剰な反応を返した。
当たりか、と内心嗤ってから、『ちょっと仕返しする分にはちょうどいいか』と思いながら腰に右手を当てた。
マリーベルにわざと、必要以上に顔を近づけて声を低くし、言葉から敬語を消す。
これ以上、ディクソン家の人間に敬語など使わないと決心しながら。
「俺は特殊任務部隊隊長だからこんな情報を掴むのに大して時間はかからない…ちょうどいい、1つだけ警告しておこう………金輪際、俺を利用しようとしたり、俺に近づいたりしないで欲しい……はっきり言って迷惑だ。次に近づいてきた時にはディクソン家が存在しなくなるものと思え。分かったか?」
「そんな………」
「もう一つ言っておきたいことがあった。もううんざりなんだよ、お前たちの行動に付き合わされるのは」
「……っ」
言いたいことだけを低く囁くと、もう用済みだとでも言うように彼女からサッと顔を離した…と同時にポケットの中で携帯電話が鳴った。ディスプレイを見れば、発信先は軍内部。番号から判断すれば、自分の執務室からだった。取り合えず、通話ボタンを押して携帯電話を耳に押し当てる。
「こちら、クロイツァーだ」
『閣下ですね?』
「レナスか。何かあったのか?」
『ええ、閣下に出頭命令が出ています。…総帥執務室へ出頭せよとのことです』
「分かった。すぐに行く」
電話越しに聞こえてきた声に、先程までの気持ちを切り替える。
マリーベルは完全無視。
何故今になって出頭命令が出るのか。
それを不思議に思いながらもレナスからの電話を切って、携帯電話を元々入れていたポケットに戻す。
マリーベルに向かって不敵な笑みを浮かべ再び低い声で少々脅してやる。
「急用ができたのでお引き取り願おうか。………先程言ったことを守らなければどうなるのか分かっているよな?あぁ、中将閣下にも伝えておくように」
そして、竦んでしまったマリーベルを自宅から追い出した。