Phase:nineteen
(あいつらは一体何を考えている!?)
いつもとは違って同じ通路を通る人々と肩がぶつかっても、謝る余裕さえなかった。
頭の中が混乱していて、今にでも悲鳴を上げてしまいそうだった。
DUKE ARZE LAUTREC
このどうってことのない筈の、人名を表すらしい文字の羅列が頭の中を駆け巡ると、何故かあの人の笑顔が頭をよぎる。自分にとって大切なはずのあの人が。
そんなはずはないのに?
ますます頭が混乱してダメになっていく。
何かが崩れ落ちそうな錯覚が、した。
□□
「おい」
誰かの声が聞こえた気がした。だけど、何も考える余裕なんて無かった。
不安で、無性に誰かに会って話をしたかった。
だけど、その対象は、もうすでに定まっているはずなのだけれど。
「おーい、大丈夫か?」
また、だ。
ぼんやりと声がしたらしい方を向いて見る。
「……ッ!」
目の前には人のドアップ。
驚いてしまったその所為で急に頭の混乱が引いて、反射的に回避運動を取ろうとするが。
「………!?」
バランスを崩してしまった。
辛うじて無様に倒れるところまではいかなかったものの、仰け反ってしまう破目になった。
「ったく大丈夫かよ。ここに居るのが俺様じゃなかったら驚かれてたんじゃね?ま、俺様は爆笑寸前だけどな」
自分の頭上から降ってくる笑い声に聞き覚えがあった。
自分を”俺様”と呼ぶ声に。
最後に聞いたのはいつだったか。
そうだ、軍に入る前。アカデミーにいた時によく聞いていた声だったはずだ。
「俺様のこと、忘れちまったか?クリストフ=クロイツァー」
いつの間にか笑い声が止んで、さっきの声の主がクリストフと同じ目線に合わせてしゃがみこんでいた。そして、かちあうダークブラウンとプルシアンブルーの真剣な視線。
ああそうだ。
こいつはいつも軽薄そうな言葉を発しながらも、その時の目は必ずしも軽薄なものではなかった。
そして彼が誰なのか、ようやく分かった。
彼も大切な人。ディクソン家で”人形”として扱われていた自分に、改めて”人間らしさ”を教えてくれた人。大切な”仲間”。
今、こうしていられるのも彼らの存在があってこそのものだった。
「………君は」
自分は言葉を発しかけて、理由もなく言葉に詰まって。
相手はクリストフの様子を見てくしゃりと顔をほころばせて笑って、彼の頭を左腕で抱き込んだ。軽く頭を叩くのも忘れずに。
「随分と久しぶりじゃねぇの?……シュトッフェル」
「その声と髪色、髪型、話し方からすると………ヒカル…?ヒカル=ヤサカか?」
「おうよ。ヒカル=ヤサカ様だぜ!!ようやく思い出したのかよ!アカデミーでのクラスメイトだったってのによ?」
「………すまない」
「…俺様はあんたのこと、ちゃんと覚えてたってのによ」
「……………すまない」
「…別に謝って欲しいんじゃねぇよ。でもな、せめて……いや、何でもねぇや。ま、思い出してくれて良かったってとこか」
「…………」
ヒカルが明るかった表情を沈痛なものに変えた。
彼はよく表情が変わる。だからこそ、彼の悲しげな顔は余計に悲壮さを漂わせてしまう。
それで、古い仲間と言うべきだろう彼が何を言いたかったのかを何となく悟ってしまった。だから何も言えなかった。
「いつの間にやら、あんた少将になっちまったんだな。さすが『万能の天才』とかって呼ばれてただけのことはあるな」
「……………」
クリストフの肩章を撫でるように見るヒカルの視線にクリストフは何も言えない。
自分には彼の言葉に何かを言う資格などない。
「……………俺様たちのクラスにいたやつら、どうなったか知ってるか?」
幾分間をおいて切り出された言葉。
それで元クラスメイトたちがどういう結末を迎えたのかを悟った。
それでも、言葉には出せない。
何かをまた失いそうな気がしたから。
これは、きっと何かの警告であり、スイッチだったんだ。
「俺様のことを忘れてるようじゃ、きっと知らないだろうな。みぃんな、死んだ!…もっとも、”お偉い”さんなあんたは死者のことなんてそいつの名前じゃなくって書類上の数字でしか知らないんだろうけどな!!」
何かのスイッチが入ったかのように、ヒカルはこちらが憎らしくなる程けたたましく嗤いながらはっきりと答えを述べた。
クリストフが悟ったものと同じ”結末”という答えを。
また、彼の発言は的を射ていた。
確かに自分は彼を忘れていた。彼らの死を知らなかった。
そして、自分は死者のことを書類やデータ上の無情な数字でしか知らなかった。
誰が死んだのか、気にもかけなかった。
目を背けていたのだ、きっと。
「ロイド、アヤカ、リサ、ハーディス、イヴリン、ジェーン、ディオン、セオドア、トミー、ジョン、セツナ……クオンにスクルドも。ウィスクラスのアカデミー生はみぃんな死んだのさ!!………そうさ、俺様とあんた以外はな!!!!アハハハハハハハハハハッ!!!」
再びけたたましく嗤いだしたヒカル。
もはや彼の瞳には先ほど一瞬だけ見せた、かつての澄み切った真剣さなど欠片もなく、ただ果てしなく濁りきった狂気だけがあった。
——狂っている。
クリストフはそれに恐怖を覚えた。
自分が知っている、否それ以上の、大切な仲間だったはずの人間の狂った姿を見て、逃げ出したい衝動に駆られたが動けなかった。
自分の内側で何かが崩壊した気がした。とても美しい何か。
それが飛び散って、周りで儚い光を放ってキラキラと輝いていた。
だが拾い集めるまでには至らないで、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「みんな、俺様が殺したのさぁ!!!」
…何だって?
クリストフは自分の耳を疑った。
あれだけ仲間を大切にしていた彼が何故?
アカデミーで出会った人たちをその手に掛けてしまったのか。
彼の幼馴染さえも。
「……………クオンも、スクルドも?」
「そうさ。あいつらの作戦はこの俺様が立ててきてやってたんだぜ!!すげぇだろ!?」
ようやくクリストフが言葉を発すると、ケタケタとさも可笑しそうに嗤い同意しながら、ヒカルは続ける。
彼の眼尻にはうっすらと涙まで浮かんでいる。
そこまで、狂ってしまったのか?
仲間の死を嗤える程までに。
彼の狂気に呆然としているクリストフにはクラスメイトの死と彼らの作戦の立案者がヒカルであることの繋がりが見えなくて。
しかし、見えなかった繋がりはすぐに見えてしまった。
「クラスメイトたちを殺した」と先程言ったヒカル自身の言葉によって。
「あいつら、何にも疑わないで俺様の作戦に従いやがった!そして、あまりにもあっけなく死にやがったのさ………みんな、この俺様の所為で死んじまったのさぁっ!!!!!」
嗤い続けている顔とは裏腹に、ボロボロとヒカルの目から零れる涙。
あの涙は彼の悲しみ、やり切れない思い、仲間を死なせるような作戦を立ててしまったことに対する自責の念といったものの表れだ。
きっと彼はクラスメイトたちの死の所為でこんな風に狂ってしまったんだ、とクリストフは考えた。
体じゃなくて、心が深く傷ついて、それ以外考えられないくらいに。
だからこそ、彼は自分のことを鮮明に覚えていたのだろう。
クラスメイトで、彼自身以外で唯一死んでいない自分を。
最初に見せたあの底抜けに明るい表情は恐らく彼の僅かに残っていた彼本来の、少なくともアカデミー時代の心だったのだろう。そう考えると内にあった恐怖が薄れ、憐憫の情が湧き起こる。
「……………なんで、しんじまったんだ?なぁ、答えてくれよ…シュトッフェル」
けれど、この独白に返す言葉をクリストフは持ち合わせていなかった。
その場に崩れ落ちて、声をあげてぼろぼろと泣き続けるヒカルをただ茫然と見つめることしかできなかった。
□□
なんで、なんてこちらが聞きたかったさ
大切なものを失う時が来ると身に染みるほど分かっていたのに
分かっていたはずなのに
何も信じられなかったはずなのに
なんで
何かを信じようと思ったのだろう
何かを信じて生きようと思ったのだろう
小さくて寂しい、けれど切実な期待を胸に抱いて
ディクソン家の人間のような、命のない、”生きる”ことを許されない人形などという扱いではなく、クリストフ=N=L=クロイツァーという名前の一人の生きている人間として扱ってもらえるかもという期待を
また、人を信じられるかもという期待を
この忌まわしい両手に寂し過ぎる願いを懸けてしまったのが全ての間違いだったのか
それとも、数々の忌わしい人体実験の末に生み出された自分という存在の両手に願いを懸けたのが間違いだったのか
今はそれさえも分からない
誰かを信じたいという願いを
天才だとか、人形だとか、自分の仕組まれた生まれとか仕組まれた運命とか全然関係無くて
どんな形でもいいから、一人の平凡で普通な人間として、生きていきたいという願いを
自分は期待だとか願いだとかを叶えようと躍起になった
だからアカデミーでの勉強だって人間関係だって自分の運命だってどうにかしようと必死で頑張った
それなのに
期待も願いも幻みたいに一瞬だけ叶うけれど、その直後には一方的に崩壊するだけで
君の願いは何も叶うことはないと誰かが告げた気がした
俺はきっと生きることを、がんばることも、何かを信じようとすることさえも許されない
だから、俺はそんな世界を醜く感じて
この世界を許せないと思った
ちょうど、この世界が俺に対して思っているのと同じように
泣くに泣けない俺の心の中で、彼女が涙を流した。