Phase:twenty-six
さぁ、説明してもらおうか。
そして、彼は重くて透明な氷の剣を頭上に掲げた。
“拝借”していた”the ENFORCER project”の計画書を、内容を偽造して誰にも気づかれないように返して、”研究所”に行ってみたりした。それらで得た内容は、どれも言葉では言い表せない程酷かった。
どういう手法かはよく分からないが、多胚化して2つに分割された受精卵(元の受精卵の遺伝子型はXXY)の卵割速度を極端に落として、とある遺伝子(“ゲートキー”というコードネームしか分からず、”ゲート”が何なのかが分からなかったが)をその中に組み込む。そのうちの1つはそのままにしておき、もう1つはDNAを少々操作する。
その後、同時に卵割速度を元の速さに戻してあとは通常通りに発生させる。
結果として、生まれたのは遺伝子操作された異性一卵性双生児。
もっとも、外見は違うし性別も違うので精々二卵性双生児にしかみえないだろうが。
異性一卵性双生児というのは稀にしか生まれないという。記述はなかったが、どうやらそれは操作されなかったらしい。
まぁそれは置いといて、———後に名付けられたその双子は、クリスティアーネ=M=クロイツァーとクリストフ=N=L=クロイツァー。自分をENFORCERとして生み出したうえで、そのDNAを使ってヒトの受精卵に遺伝子操作を行いコピーを生み出す。
そのコピーたちにも遺伝子操作を行い、髪色や瞳の色、性別などを必要に応じて変えていく。
…そのコピーたちの行方は分からなかったが。
生命倫理など、薄っぺらな紙切れの様なものだとクリストフは思った。
全ての受精卵を提供していたのは双子の母親…エヴァンジェリン=シュナイダー=クロイツァー。
提供を許可していたのは母親の父であるヨハン=シュナイダー地球連邦軍事務局長と父親の兄、ヴォルフガング=G=クロイツァーと弟のコルネリウス=C=A=クロイツァー。何故か、父親であるヴェルナー=T=クロイツァーには許可を得ずに行われていた。母親も嫌がったらしいが、結局自分の父親と義兄と義弟に丸めこまれてしまったらしい。そして、彼らのためだけにその身を捧げさせられた。
限られたごく少数の人間だけを巻き込んで、できる限り計画を隠匿しようと計っていたのだろう。
そして、必要無くなったら、情報を掴まれたら、誰であろうと排除することで機密性を高めていた。
それが実の娘で義妹であり義姉であろうと、婿で弟であり兄であろうとも。
その為に、受精卵を提供した母親は自宅にいるであろう父親を狙ったテロに見せかけられて殺され、妻が死んだあと真実を知った父親もまた、クロイツァー家に丸めこまれた軍人が乗った戦艦に主砲を撃ち込まれて殺されたらしい。それも敵に乗っていた戦艦を沈められたという嘘で、真実を誰の目にも触れないようにと塗り重ねられて。
双子の誕生から5年後に「対照実験」と称して、双子のうちの片割れ(クリスティアーネ)を母親から預かる際に母親に引き渡しを拒否された為に殺害に及んだという。それも、彼女を反クロイツァーのグループによるテロリズムの被害者に仕立て上げ、そのグループに罪をなすりつけ、殺害現場を目撃した「将軍の息子」としての「人質」という名目で本来の目的ではないクリストフを連れ去った。
後に起こった事は、自分の中の彼らが見せた記憶と全く同じだった。
監禁されている間毎日のように幻覚剤を打たれて。活動中に脳内麻薬を活発に分泌できるようにと、脳の一部に変異を起こされて。運動能力を無理やり向上させられて。まるでディクソン家がやったような実験を繰り返されて。
ようやくクリストフの居場所が分かった父親がひどく憔悴して今にも泣きそうな顔で彼を抱きしめて。
酷く掠れた声で「やっと見つけた」と言った言葉がやけに耳に残って。
その時父親の体を包んでいた純白の制服が所々汚れていたり紅く染まっていたり、あるいは血の臭いと硝煙の臭いがして、当時の彼の幼い心でも何故だか悲しくなっていて。
そして、彼は父親に必死でしがみついていた。
やがて、クロイツァーに丸めこまれた軍人…のちに義理の父親となるジェレミー=R=ディクソンが、ストラットフォード宙域戦において自ら指揮を執る戦艦の主砲で、父親の乗った戦艦を撃ち落とした。クロイツァーに丸めこまれた時に得た情報でENFORCER計画と実験体の力に興味を持ったディクソンは、父親を失って一人になったクリストフを攫い、上層部に計画の内容を漏洩した。
それがきっかけでディクソンはクロイツァーの不興を買った。
クリストフが手元に戻ってきたあと、クロイツァーはディクソンに制裁を行ったのだとか。
様々な思惑の下、軍のアカデミーに入学したクリストフを、ディクソンの”密告”という名の報告によって”ゲート”とENFORCERの存在を知った上層部が見逃すはずもなかった。
そして、彼を逃がさないように色々と手を回して。
ENFORCER計画は現在も密かに継続中だった。
先日の温かい気持ちはどこかへと去り、それらを真実だと認めざるを得ないのがひどく哀しかった。
その直後、気分はさらに冷え込んでいた。
「信じていたはずの彼らでさえも裏切っていた」という思いで。
きっと、伯父が大切に持っていたクリストフの父親の指輪は、自分たちがディクソンを使って殺してしまった弟へのせめてもの償いのつもりだったのだろう。それが今、クリストフの左中指にあった。
指輪だけではなく、伯父の最後の手紙も同じことなのだろう。
多少虫唾が走る思いがするが、故人である伯父の事をとやかく言ってもどうにもならない。
そして、いつの間にやら年が明けていた。
どういうわけか祭り好きな下級士官の連中が新年を盛大に祝い合う中、クリストフは新年を祝う気持ちも起こらずに、かつて自分で破壊してしまった携帯電話の存在を不意に思い出して新しく黒い携帯電話を購入し、いじっていた。
その携帯電話で先方には話をつけてある。
嘲笑によく似た微笑みを浮かべて、氷で覆われた深海の瞳で窓の外を眺めると、怒りや、かつての自分が抱いていたものによく似ているようで違う、冷えた気持ちを呼び起こしていた。
そして、複雑な感情をばっさりと氷の剣で切り捨てて、これからの事を割り切る。
これも任務の一つだ、と。その一方で、「何を言っているんだ」と誰かが怒鳴った気がした。だが、クリストフにはその声はほとんど届いていなかった。
□□
「…閣下、時間です」
穏やかなはずのレナスの声が時間を告げる。
だが、それさえも心から熱を奪われたかのように冷え切っていた。
強制的に熱を奪われた声は彼女の感情をそのまま表していた———怖い、という感情を。
「了解だ」
喉の奥でくつくつと笑って裡に氷の剣を携えたENFORCERは立ち上がった。
彼の心情をそのまま表した氷の剣は冷たくて透明で、そして重かった。
□□
ベルリンのとある邸宅にて。
「あぁ、来たか」
「ええ。御主人様、どうなさいますか?」
「構わんさ、通せ」
「分かりました。しばらくお待ち下さいませ」
メイドが静かに退出していくのを見送って、彼は窓の外を見やった。
そして、これからのことを考えて僅かばかりの憂鬱さを感じたのだった。
「やれやれ…。やっぱ、こうなったのは俺らの所為かね……」
すべて俺らの所為なのか、と。
やがて諦めたような笑みを浮かべて、椅子に深く腰掛け直した。
□□
「………初めまして、と言うべきなのでしょうね。”デューク=アルゼ=ロートレック中将”?」
初めにかけられたのはそんな言葉。
彼を連れてきたメイドが退出するなり、彼はそう言った。
いつも素の彼が纏っているような比較的穏やかな雰囲気は欠片もなくて戸惑った。
あの忌わしい制服こそ着ていないものの、纏う空気はまさしく軍人のものだった。
もっと具体的に言うなら、軍人としての彼自身の父親が纏っていたものと根本的に同じものを。
「俺を問い詰めに来たんだよな?……クリストフ=N=L=クロイツァー少将」
「つい先日中将に昇進したのですが、まあいいでしょう。……用件というのは、概ね貴方の仰る通りのものですよ。その為に態々こんな所まで来たんですから」
「そうか…。そうだよな…すべてお前は知っていたんだな」
「ええ。全てはこの目で確認してきましたし、まさか『デューク=アルゼ=ロートレック』が自分の叔父…コルネリウス=C=A=クロイツァーだなんて思いもしませんでしたよ。そこに関しては、元帥様々ですかね」
そう言って、クリストフは笑ってみせた。
ただ、その目の奥は笑うどころか芯まで冷え切っているのに対して、コルネリウスは背筋が凍る思いをした。コルネリウスは、「唯でさえこういう空気を纏った時の次兄は恐ろしかった」と思い返す。だが、その彼以上に恐ろしい、と思った。
「”研究所”で行われていたことも?」
「ええ、”the ENFORCER project”の計画書を”拝借”して、内容を偽造して返しておきましたよ」
「混乱っていうか、怒ってないのか?」
「———何故、今更怒らなければならないのですか?」
さらりと答えてみせたクリストフにコルネリウスは目を丸くし、椅子から立ち上がって問いかけたところ、即座に返ってきたのは意外な言葉だった。「何を今更」と。だが直後、それ以上の言葉がコルネリウスに氷の雨のように降り注いだ。
「それよりも、俺は貴方達を軽蔑します………恐らく一生ね」