Phase:twenty-seven
掲げられていた氷の剣は振り翳された。
クリストフは窓際に歩み寄って窓枠に背中を預け腕を組んで、コルネリウスを冷えた深青の瞳で見据えた。ふ…と色んなものが綯交ぜになった溜息を薄く開いた唇から零し、「もう見たくない」とでも言うように瞼を下ろして自嘲が籠もった笑みを浮かべた。
「本当に、見事なまでに裏切られましたね、俺は……馬鹿みたいだ」
やはり紡がれた言葉は自嘲が込められたものだった。
もう一度溜息を零して、彼から視線を外し窓の外を見やる。
街並みが一望できる程の絶景がそこには広がっていて、視線はそちらに固定しつつ口を開いた。
「いい眺めですね」
「……………………」
「父さんと母さんにクリスティアーネと俺が散々貴方達に振り回されている間に自分達はこんな処で悠々と高みの見物を決め込んでいたわけか」
いつの間にやら敬語が抜けた口調になっていた。
クリストフの銀色の髪が窓から差し込む日光に煌めいて、余計に銀色の度合が増しているように見えた。
その目にも鮮やかな色彩にさえ、コルネリウスは何も言えなかった。
ただ、椅子に座って、唇を噛んで、指を組んでいるだけだった。彼が何も言えないのは、甥が言っている事が正しいから。
「随分といい御身分だな…貴方達のくだらない事情の所為で俺の家族はバラバラになった。そうさせておいて貴方はのうのうと笑ってたんだな」
視線をコルネリウスに合わせてクリストフが嗤った。
反感を抱く気さえ起こさせないような、明らかな冷笑だった。
「…………………それは違う」
「へえ?」
それに反論の兆しを挙げたコルネリウスに、クリストフは左眉を器用に上げて面白そうに口元を歪めてみせた。
「何が違うか聞かせてもらおうか」とでも言うように。
「なら、何が違う?」
「あれは、ENFORCER計画については何も否定できねぇ…それは事実だからな。けど、くだらない事情なんかじゃねぇ!!」
「で?」
「シュトッフェル、お前ん中には”ゲートキー”ってコードネームの遺伝子が入ってるって位は知ってんだろ?」
「…ああ」
「その遺伝子は名前通り、惑星ルヴナンにある”ゲート”の鍵になってんだ…”ゲート”は神様のいるって空間につながってるって伝説がある」
「……………神?貴方まで何を…」
「最後まで聞け!昔、何時だったか…多分一世紀以上前の話だったと思うが、宇宙探索隊が”ゲート”を発見した。何にそれが使われたのかも分からないってんで、宇宙探索隊はそれをオーパーツとみなした。その知らせが世界中に広がると『世紀の大発見』だって騒がれて、その向こうに何があるのか研究者が我先にと”ゲート”に向かったが誰一人として分からなかった……誰も帰ってこなかったんだ」
「だがとある研究者が研究をしている時、”ゲート”から声が聞こえたらしい……………『神の意向に沿わないこの世界は廃棄される』と。それだけを言ったらしい」
「その後、”ゲート”に浮かび上がった何らかの文字の羅列があったらしいが、それは遺伝子の塩基配列だったそうだ。彼はその羅列を正確に記録していた」
「だから、何だと言うんだ」
「彼は”ゲート”の言葉をそのまま信じた。世界が消滅する運命にあるという事をそのまま信じたのさ。そこで、地球に帰還する途中で彼は考えた。『世界を存続させるにはどうしたらいいか?』」
「………………世界を消滅させようとする原因を打ち倒せばいい…………っ」
そうして、クリストフは項垂れて右手で顔を覆った。
コルネリウスは自分の都合のいいように彼の仕草を解釈して先を続けた。
彼の手の下に隠された苦悶の表情を見ずに。
「そうだ。ではどうやって打ち倒す?…………彼には答えが一つしか見つからなかった。”ゲート”が示した遺伝子の塩基配列を使うしか」
一方、クリストフの頭の中では過去がフラッシュバックしていた。
聞くも懐かしいあのコロラトゥーラソプラノの声が優しく頭の中をかき乱す。
今度は見えなかったはずの声の主の姿まで見える。それは、柔らかそうな茶色の髪をした女性。
外見だけがレナスにそっくりだった。
『あと、もう少しね。もう少しすれば、私たちは自由になれるのよ』
『だけど、あれで正しかったのか?』と、金色の髪を持つ青年が彼女に問いかける。
『………分からないわ。でもね、私はあの人を止めたい…だから、その為には何でもするつもりでいるわ。貴方はあれ以外に方法があったと思うの、エアハルト?…あの子とお話しさせて頂戴ね』
急激にクリストフは意識を闇に引っ張られる様な感覚がして、それに抗えずに大人しく引き摺られていった。
「…………それしか方法はなかった、んだろうな」
急激に入れ替えをさせられたエアハルトは微かにひとりごちた。
そして、氷の剣が砕かれる感触を抱いた。それはあまりにも脆く。
他方、”クリストフ”が反応を返してくれた事に機嫌を良くしたのか、コルネリウスの舌はますます滑らかに回っていった。
「そこで、彼は壮大な計画を立ち上げた。けどな、世界の人々には理解されなかった。人々は『世界は自分たちの手の中にある』んだと勝手に自惚れて、『世界はいつまでも続いていく』んだと勝手に信じ込んで、『世界が神の手によって消滅する』と主張した彼を異端者扱いした。だから、彼は陰で計画を進めていかなければならなかった。遺伝子の塩基配列だってんなら生物に組み込むしかない。けど、生物って言ってもたくさんの種がある。様々な条件を付けて絞り込んでいくと、ヒトしか相応しい生物がいなかった。神に対抗できるのはヒトだけだと考えたのさ。彼は被験者となってくれる人材を集めようとしたが異端者扱いされている所為で人は集まらない。そこで、スポンサーを得ようと考えた。彼がスポンサー交渉した大中小企業の中で、提示した様々な条件を全てクリア出来たのは我らがクロイツァー=コンツェルンだけだった」
「………あいつにはもう物理的な力など通用しないからな…ああするしかなかった」
「あいつ…?」
今までの張り詰めた氷のような調子の失せた声がコルネリウスの耳に聞こえてきた。
それであっても柔らかさを感じさせない、どこか淡々とした声の調子。
「この世界は人間が過度なまでに繁栄し、生態系は科学によって極限状態にまで追い詰められた。また、人間が生命を操作するまでの科学技術力を持つようになってしまった。…………だから、あいつは自らの力に人間が追い付く事を恐れて、また嘗て失った自らの世界を復興させようとして『世界を消滅させよう』と思ったのさ。こればかりは知らなかっただろう、コルネリウス=C=A=クロイツァー?」
「誰だ、お前は……?」
コルネりウスの視線の先。
そこには、陰った目をした”クリストフ”が彼を見据え返していた。