No Title Phase:11

Phase:eleven

「本当に、久しぶりね。あなたが家を出て行ってからだから…7年ぶりかしら」
クリストフの自宅に彼女は招き入れられた。

こうして、ソファに座ってクリストフの前で微笑む女性はマリーベル=ディクソン。
ジェレミー=R=ディクソンの妻。要は彼の義母にあたる。

ディクソン家にいた時のことなどできれば思い出したくはなかったが、ディクソン家の人間を見ると反射的にというか…。
おまけに統合した故に、取り戻したと言って良いのかどうなのかは分からないが、その記憶の中にウィリアムが無くしていたこの頃の記憶があったのだから最悪だ。
知りたくなかった過去が呼び覚まされる。

この記憶をたどって最初に見えてくるのは———鎖だ。

確か、俺が13歳の頃だったと思う。
兎に角、父親が死んでからだ。
ちょうどこの頃はイヴァンだったかな。
父親と住んでいた家で、1人俺は泣いていたんだ。
きっと、不安だったんだと思う。
それ以外にも要因はあったのだろうが。
そんな事はともかく、学校にも行かず(行けなかったのかもしれないが)、ただ1日を自室のベッドの布団の中で過ごしていた。
眠ることもできず、ただ布団の中で体を丸く縮めて。
ベッドから出るのは、生理的な欲求が起こったときだけ。

そうやって、1ヶ月が過ぎた頃……あいつがやってきたんだ。

あいつはこっちの断りなしに家にずかずかと入り込んできて、いろいろ調べまくったみたいだ。物音がすごかったからな。鍵は掛けていたはずだから、強引に開けて侵入してきたんだろう。
“どうか、見つけないでください”と神様に願った。
いつもならそんなものから追い払ってくれていた父親はもういなかったから、突然の侵入者に怯えながらひたすら願うしかない。
逃げようにも、俺の部屋は3階にあって飛び降りなければ逃げられそうにもない。
しかも、俺はほとんど何も食べてなかったから、体のあちこちが悲鳴を上げている状態だったんだ。結局逃げることもできずに、ベッドの中で息をひそめて、あいつがこの家ではないどこかへ行ってしまうのを待っていた。
そして、ぼんやりと明日になれば叔父が迎えに来てくれるということを思い出していた。

明日まで隠れられれば……と思ったんだろうな。
でも、その思いは裏切られた。あいつは俺がいた部屋のドアを強引に開けて、部屋を散々荒らしまわって、俺をベッドから手荒に引きずり出して、こう言い放ったんだ。

『初めまして。私は君の父親の友人だ、何も心配することはない』と。

腕をつかむ手を振り払おうとすると、あいつは残酷に笑って『悪い子だ。人形は人形らしくしていなければいけないな』と言い、俺の腕を掴んでいない方の手で拳を作って…それを俺の鳩尾に叩き込んだ。そこで、一旦記憶は途切れる。
目が覚めると、何処か知らないところにいた。
そもそも真っ暗で何も見えなかったけれど、そこが知らないところだとは空気で感じ取れた。
壁と思しき所にもたれかかって座っていたせいか体が痛くて(殴られた鳩尾はそんなに痛くはなかった)、おまけに腕まで痛くて立ち上がろうとした。取り合えず、姿勢を変えようと思ったんだ。その時、金属が触れ合って出るような音がした。
どうしてそんな音がするのか不思議に思って、音のした方に指を伸ばしてみた。滑らかで、それでいて所々でこぼこしていて、ひやりとした感触。

鎖だった。

何故こんなものがあるのか。
そんな疑問を抱きつつ、自分に異常がないかを確認しようとして、鎖を触っていた手を顔や首筋に持っていこうとした。
父親に教えてもらったことを実践するはめになるとは思いもしなかった。
しかし、手が下に動かない。無論、上にもだ。
『……どうして?』
声にならない声で呟いた。
仕方なしに顔を上に向けてみた。
ようやく暗さに慣れた目に入ったものは、両腕を上で交差させ、その部分に手錠を取り付けられた自分の腕だった。
恐らく先程触れた鎖の先にこの手錠が繋がれているのだろう。

ふと、恐怖が走った。
どうして、こんな風に拘束されなければならないのだろうか。
理由がまったく分からなかった。
これから自分がどうなるかさえ分からずに、恐怖のままに声を殺して泣いた。

あれから…気が付いてから何時間経っただろうか。
泣きやんでから結構な時間がたったような気がする。

父親が亡くなってからは閉じこもっていたので時間の感覚がない。
それを半ば後悔した。

何かが動くような音がして、俺は床に向けていた視線を上にあげた。

視線の先の光の中に人がいた。それも、2人。
光がまぶしい上に逆光でどんな人間なのかよく分からなかったが、影の形で辛うじて女性と男性だと分かった。
その直後、左側の人影が急に動いたので俺は体を強張らせた。
その人影は俺の目の前で止まり、俺の視線に合わせるようにしゃがみ込んだ。
『あらぁ、この子なの?”プレゼント”っていうのは』
『そうだよ、マリーベル。こいつは自由に使っていい。…こいつは人形だからな』
『人形ねぇ…でも、こんなふうに拘束するのは悪趣味よ?それにしても綺麗な子…好みだわ』
人形。
繰り返されるその言葉が胸を抉った。
俺が人として扱われないのだと何となくその言葉から悟った。
悟ったと同時に反感が頭を擡げる。

拘束を悪趣味だと言ったのに、当の本人はその拘束を解いてはくれない。
それに失望はしたものの、まだ絶望はしていない。

言葉と同時に顎を捕らえられ、ぐいっと動かされる。
それをしているのは、どうやら女性の方らしかった。
妖艶に微笑んでいる彼女の瞳に宿っているのは、ぎらぎらとした暗い熱。
羊の皮でも引っ被った猛獣を目にしたような、嫌な、感じがした。
『わたしを見なさい、わたしのお人形さん』
誰がおまえなんか見てやるものか。
内に抱いた反感の所為か、わざと視線をそらした。
すると、乾いた音と共に左の頬にかすかな痛み。特に痛いわけではない。どうやら平手打ちを食らったらしかった。
それに対する反感を睨みつけることで示すと、また平手打ちを食らった。
さっきのよりも少しだけ痛い。

気が付けば、彼女の隣には男がいた。
彼女を”マリーベル”とよんでいたのは彼。
彼の手はまるで平手打ちをしたかのようにあげられて、ある位置で止まっている。
さっき俺を殴ったのは彼なんだと何故か冷静に考えていた。
こういう状況でも冷静に物事を考えられていたことに内心で驚く。
彼は、こういう内面を見抜いて俺のことを”人形”と呼んでいるのかもしれないと思った。
『マリーベルの言うことを聞くんだ。……聞かなければ、次は本気で殴るぞ』
『見なさいって言ってるのよ!?…わたし、あなたの綺麗な顔に殴った痕なんか残したくはないの。…………ね、だから言うことを聞いてちょうだい…お願いだから』
やっぱり、彼が殴ったらしい。
そして不意に優しくなった彼女の口調。
何故だろうか、優しくなった口調の奥に母親のような無償の愛を垣間見た。
後で思えば、彼女…マリーベルの懐柔策だったのかもしれない。
母親を早くに亡くしていた俺は、無償の愛とかいったものをどこかで求めていたのだろう。それに応えたくて、彼女に目を合わせた。
『そう、それでいいのよ…”クリストフ”』
彼女はそう言って、名前を呼んで俺を抱きしめた。
母親のようにしてやれば俺を簡単に手なずけられると思ったのだろう。
きっとその口元には鮮やかな勝者の笑みが浮かんでいたに違いない。
一方、俺の方もおとなしく従っていればそこまでひどい真似はされないと分かった。
その代わり、”人形”と呼ばれる屈辱やこれから受けるであろう仕打ちについての仕返しは必ずしてやると密かに誓ったのだった。

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