ただ、私は今迄の様に出来るだけ飾り立てた。
そうして不意に気が付いた。私は「恐ろしい」のだと。
「何が」ではなく、「誰が」なのだと。
その「誰か」が私に対して「何か」を言えば、私は其れを正論であるかの様に思考し、その「誰か」の内面での思考を推測してしまう。そうして、その「誰か」の思考が恰も「私」を映す鏡の様であると信じてしまう。
其れが恐ろしいのだ。
「誰かの思考」と「私自身の思考」が、さながら自身を斬り付けるかの様である。
やがて「私」は不気味な「何か」になってしまう。
飾り立てた、とは雖も私自身は飾り立てているつもりは無かった。
然し乍ら、無意識の内に己の鎧として非常に脆弱な装飾を施していたのだ。その装飾が斬り付けられたならば、装飾は当然の如く呆気無く剥がれ落ちて「不気味な私」と為る。
そうだ、今の私が「恐ろしく」且つ「不気味な何か」なのである。