No Title Phase:28

Phase:twenty-eight

『初めまして。こうやって面と向かってお話しするのは初めてよね?』
「こうやって話すのは初めてだな。自己紹介だけはしておこうか…エアハルト=ブライトクロイツだ」
彼女と彼は相手に向かって微笑んだ。
彼女の相手は妙な既視感を覚え、彼の相手は完全にたじろいだ。
『自己紹介をさせてもらうわね?私はベアトリーチェ。ベアトリーチェ=クルティスよ。貴方は私達の統合人格』
ふわりと浮かべられた笑顔に差し出された右手。
彼女によく似たベアトリーチェに妙な既視感を覚えた。
本当は逆なのかもしれないけどな。
ここに来るまで、どんなものでも打ち砕けた筈の氷の剣は脆く、砕け散っていった。
その氷の剣の破片を足で踏みつけて、そう思う。
『貴女が本当の”ベアトリーチェ”か…俺はクリストフ。クリストフ=N=L=クロイツェル』
その手を握り返しつつ自分の名前を告げた。
やはり、レナスとベアトリーチェは手の感触も声も違った。
『貴方、本当の…って言ったわね?それはどういう事なの…クリストフ?』
『呼びにくいならイタリア語読みしても、略しても構わないが』
『じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわね……そうね…クリストフォーロ、でいいかしら?私のことは呼び捨てにしてくれて構わないわよ』
『了解だ』
『で、私以外に貴方が知っているベアトリーチェがいるのかしら?』
『あぁ、神とかいう奴に”ベアトリーチェ”を強要されている人がいる』
『……私を?』
『どうやらそうらしい』
『そう……あの人はいまだに引き摺っているのね………そんな悲しい事しないで、って言ったのに』
悲しそうに紡ぎだされた声に何かが引っかかる。
いかにも知っているといった口ぶり。
まるで、あの時のような。
『ベアトリーチェ、君は神を知っているのか?』
『…………ええ、とてもよく。もっとも、神なんていう名前ではないわ…イヴリン=フェレスっていうのだけれどね』
神の名前だという、イヴリン=フェレス。
若干含みを持たせた言い回し。
また、何かが引っ掛かった。
『何か言いたそうな顔をしているわ』
『君があの声の主か?』
『…………ちゃんと言ってくれないと分からないわ。私は貴方の神様じゃないのだから』
『俺に事あるごとに”全てを終わらせろ”と言っていたのは君か?』
ベアトリーチェの表情が僅かに凍った。
しかし、その直後には凍った表情は溶けて、元の穏やかな笑顔が戻っていた。
『…………流石ね、正解よ。貴方に話しかけていたのは私。』
『それで、何をしたかったんだ』
『貴方達で言うところの神…私達で言うところの仲間であり家族を止めて欲しかったのよ…貴方達、クリストフォーロとお姉さんにはその力があるから…でもね、私やガブリエルやエアハルトにはそんな力はないのよ。私達は精神体のようなものだから』
『俺とクリスティアーネにはあって、君達にはない?』
『そうよ。…だけど、貴方達の中に刻まれた遺伝子ではディレクターズ=エリアに到着することしか出来ないようになっているの』
『ディレクターズ=エリアだって?』
ベアトリーチェの言葉の中に含まれていた聞き慣れない、寧ろ初めて聞く言葉をクリストフが聞き返すと、彼女は『ああ、そうだったわね』と微かに苦笑を洩らして簡単に答えをくれた。
『そう、イヴリンが居る所の名前』
全てが絡み合って、頭の中が混乱しかけていた。
どうしてこんな事に?
『…………私には全てを言えないから部分的に教えるわ。でも、後はイヴリンにでも聞いてみて。彼ならきっと全てを語れるから』
どうやら、思っていた事が全て言葉になっていたらしい。
余裕も何もないみたいだ。自分自身に呆れたような溜息を漏らした。
ベアトリーチェは大きく息を吸い込んで、口を開いた。
『私達は元々、この世界の人間じゃなかったのよ。ディレクターズ=エリアのある世界…Christaniaという並行世界(パラレルワールド)に生きていたわ』
『何故、過去形なんだ』
彼女は遠い眼をして、どこか空虚な声で語りかけてきた。
『私やガブリエル、エアハルトの肉体は遠い昔に失われているのよ、ある事故によって。その瞬間私達の世界の人のほぼ全ては肉体をどこかへ持って行かれた。私達はいつ消えるとも知れない脆弱な精神体で他の世界に逃れたの。私達は時間を超えて、偶然この世界に辿り着いた。……多分、その事故を起こす切欠になったイヴリンのいた空間以外の私達の世界は消滅してしまったのでしょうね』
『その残された空間がディレクターズ=エリアになっているのか』
『ええ。きっと、彼がこの世界での神になると決心してから彼自身の手で再構築されたのね』
『全てはイヴリンって奴が原因か』
『そうね……だけど、彼だけじゃないわ』
『どういう、事だ?』
クリストフは意味を測りかねて聞き返した。
ベアトリーチェは右手で目を覆って淡々とした口調で先を続けた。
『私達に原因があるのよ…全並行世界の統治者たろうとしたのだから。………私達が元いた世界はこの世界とは比較にならない位科学技術が発達していてね。あの時から1000年ほど前だったかしら…ちょうどこの世界でいう西暦2810年ごろかしらね、その時が科学技術の最盛期だった…現在のこの世界の科学技術とはおよそ3世紀程の開きがあると言われている位だったわ……。まあそれはさておいて、私たちがいた時代では並行世界の存在に気づき、尚且つ並行世界に侵攻できるような技術も開発していたの。その開発主任をしていたのがイヴリン。…世界統一政府は帝国主義を振りかざして、彼にそんな技術を開発させていたのよ』
『ただでさえ因果律を歪めてしまう並行世界移動技術には、ミスをすると世界が歪められる、最悪の場合消滅する危険性もあったわ。これはイヴリンが愚痴をこぼしていたけどね』

『今でも忘れない…………………エイレーネー暦10944年8月31日、事故は起こった。その日は並行世界の一つに侵攻しようとしていた日だった…人々が凶暴なまでの歓喜に染まっていたわ。私はそれが怖くて家の中に籠もっていた…』

『そこにガブリエルたちがやってきて、少しだけ話をしてイヴリンとちょっと遅めのランチをしようということになって外に出たわ。そしたら、耳に何かに細かくひびが入るような音が何度もして、ごめんなさい………………消滅する瞬間は覚えていないの…最初は死んだのかなって思ったわ。でも、薄れていく世界の存在を五感じゃないもので感じて、私は生きているんだって思って、世界が…私たちが取り返しのつかない事をしたから神様が怒ったんだって思った。そして、急に不安になってすぐそばにいた筈のガブリエルを呼んだのよ…でも、声が出なかった。真っ暗な視界の中で。そして助けてって強く願ったの。おかしいでしょう?…そうしたら、時間と世界を越えて貴方の元へ辿り着いたの。』
クリストフは何も言えずに、長い長い沈黙が始まる。
耳を澄ませていると、エアハルトがコルネリウスに話している内容が。
そして、コルネリウスがエアハルトに語る本音と理想が。
少しずつ鮮明に聞こえてきた。
—お前は何を望んでいるんだ?—
エアハルトがそう尋ねている。
欲しいものを言いたがらない子供を相手にしたような穏やかな口調で。
—オレはな、あいつをあんな風にしちまった事を悔やんでんだ…だから、助けてやりたかったんだ。地球連邦軍から解放してやりたかった。そんで、クリスティアーネに会わせてやりたい。勿論ヴェル兄にも義姉さんにも酷い事をしたって解ってる。あいつの家族も、人生もオレらの勝手で滅茶苦茶にしちまった………………あいつには絶対言えねぇけどな…ってか、あいつはもう耳を貸さねぇだろうさ。”何を今更”って言ってな…………あぁ、今更だな…—
多分、クリストフに似た自嘲の笑みを浮かべながらコルネリウスはそう言っているのだろう。
本人であり、本人ではないものにであるからか、率直に向けられる感情。
確かにクリストフは「何を今更」と内心で思っていた。
—それなら尚更だ。クリストフに言ってみたらどうだ?—
—そんな資格なんてオレにはねぇんだよ!—
現実世界でも沈黙が舞い降りた。
—…確かに、そんな資格など無いかも知れない。それでも、言わなければならない事だってあるんじゃないのか?—
『………ああ、もう時間ね。最後に一つだけいいかしら、もう一人の私にアドバイス』
『…………レナスに?』
『そう、その子に伝えて。”貴女は私じゃない。貴女は何も彼に縛られる必要はないから、貴女が望むように生きればいいのよ”…って』
きっと、彼女が神の束縛から解放される日は近いだろう。
それは他でもない、彼女にそっくりなベアトリーチェの導きのおかげだ。
『…了解した』
必ず彼女に伝えると言外に秘めて了解の意を示すと、ベアトリーチェの茶色の瞳を見る。
よく見てみれば、似ているようで違った。外見ではなく根本的な部分から。
だけど、澄んでいる所は同じだった。
『私だってダンテによって奇跡化されたベアトリーチェじゃないもの。誰かを何処かに導くなんて事は出来ないわ。…だって、私は一人の平凡な女だから』
そう言って笑った彼女の笑顔はどんな美術品よりも美しかった。否、美しすぎた。
まるで人形のような印象を受ける程までに。
再び訪れた既視感。
『でも、これなら言えるわ。”笑って”』
『は?』
『ねぇクリストフォーロ、笑って?』
彼女の唐突な要求にクリストフは精一杯の…それでも若干ぎこちない笑みを浮かべて応えてみせるが、彼女は少々考える様な素振りを見せて悲しげに微笑んだ。
『うまく笑えないのね。……私は、今まで貴方の中から貴方を見てきたつもり。どんなに酷くて辛い事を貴方が経験したかも知っているけれど…貴方には笑顔がきっとよく似合うと思うわ』
苦しい事を経験した人の笑顔はきっと、貴方が抱いていた氷の剣以上に強いのよ。
そう言って、彼女は今度は晴れやかに笑って見せた。
そうすることで彼女は、決して彼女自身を外に見せないように振舞っていたのかもしれない。

ベアトリーチェ=クルティス。

彼女に比べて自分は醜い存在であると思いつつも、クリストフは何故か彼女が自分と似ているような気がしてきたのだった。

そうして、現実世界へと引き戻される。

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