Phase:twenty-nine
side-B
ベアトリーチェはふっと笑みを零した。
その笑みは自嘲を表していた。
『私もクリストフォーロに肝心な事が言えないなんて、まるで根性無しみたいじゃない……ねぇ?』
ここには居ない誰かに同意を求めるように呟いた。
そして、クリストフがいなくなって真っ暗になった空間に膝を抱えて座り込んで顔を伏せた。
『貴方を待つ運命の時はもう間もなくよ…負けては駄目』
APOCALYPSE——The time of VANISHING.
彼女の母国語…彼女の世界で使われていた言葉で、大体そのような意味合いの言葉を紡いだ。
『負けたら貴方は全てを失ってしまうわ…あの人みたいに』
だから、負けないで。
そして、彼女は寒く暗い空間で一人、涙を静かに流したのだった。
少なくとも、嗚咽を『彼』に聞かれないように。
□□
side-Ch
舞台の緞帳が上がっていくように静かに視界が開けていく。
どうやら瞼を降ろしてしまっていたらしい。
目の前には叔父であった男がいた。過去形にするのは不自然だったか。
「——貴方は一体何をしたかったんですか」
クリストフは前を見据えて切り出した。すると、相手はゆるりと肩を震わせ、彼を見た。
彼の瞳に映る、彼と同じ色合いの瞳にはいろんな感情が綯交ぜになっていて今にも爆発しそうな危険性すら孕んでいた。
そんな叔父が急に床に膝をつき、それから両手と額までも床に押し付けた。
土下座、だった。
何故彼がそんな姿勢をとるのか、すぐには理解できなくて。柄にもなく焦った。
「何を——?」
「———済まなかった」
困惑して、問いかけようとした言葉にかぶさって返ってきたのは、ややくぐもった謝罪だった。
何処か躊躇うような、そんな色を大いに含んだもの。
「顔をあげ———」
「例えお前がそう言ってくれても、顔をあげるわけにはいかない」
顔を上げて。土下座なんかしないでいいですから。そう言いたかったのに、打ち消された。
そして、その後続けられた言葉にクリストフの表情は強張った。
「お前を辛い目にばっかり合わせて、傷つけてばっかで…庇護の対象であったはずのお前を、大人として守ってやれなくて済まなかった」
そう思っていたのなら、どうしてあんな事をしたんだ。思いながら、眉が吊り上がっていくのを感じた。
やはり拭えなかった今更という感じ。広がっていく悲しみと怒り、憎しみ。
幾分か強張った声で、その事以外にもいろんな意味を込めて訊いてみた。
「………今更?」
「………ああ、今更だ」
先程よりもくぐもった声で返された答えはやはり、イエスだった。
「どうして、今になって」
「もうやり直せない頃になって自白するのは卑怯だとオレ自身解ってるから……許してほしいとは思わない。恨んでくれたっていい、殺してくれたって構わない…寧ろ、お前の気が済むように殺してくれないか…」
…殺せ、だと?
あの、絶望に満ちた時に俺が願った事を、貴方が言うのか?
「———取り合えず、立って」
適度のゆとりを何とか取り戻した声で叔父に立つように促したが、何故か彼はかぶりを振って嫌がるそぶりを見せた。
何度も試みたが結果は同じで、クリストフは徐々に苛立ってきた。
「…仕方がないな」
ふっと苦笑を一瞬だけ浮かべると同時に、強引に叔父の腕を掴んでその場に立たせる。
今にも隙あらば再び土下座しようとする彼を、力を込めて両腕を掴んで立たせることでそうさせないようにした。
彼に対して酷い事をしているのかも知れないと思いながらも、そのまま肩を抱き寄せるようにして、クリストフは彼を椅子のあるところまで連れて行き、座らせた。
そして自然な感じを装って、その横顔を盗み見る。
「………」
叔父はどこか呆然としながらも泣いていた。
泣いていたのに驚きつつも、クリストフは彼の頬を伝う涙を見てみる。
何を思っているのかは多分分からないだろう。
それは何時もの事だったか。
だから彼が隠し事をしていても、クリストフは気付かなかったのか?
(………さあな、俺には分からない)
クリストフは心のうちで自問自答をして、窓際の壁に背を預けて目を伏せる。
さて、自分の気持ちはどうだっただろう。
事実を知った時の自分の感情の揺れを思い返してみる。
隠し事をされていて確かに嫌だった。
誰が実際に殺したにせよ、結果として身内に両親を殺されていたと知り、悲しくもあった。何故隠していたのか、何故こんな事になったのか怒りもした。信頼していたのに裏切られたとさえも思った。
だが、それ以上に彼から与えられたものは沢山あったような気がするのも事実だ。
失いかけていた感情。生き方。忘れかけていた笑い方。誰かを信じるということ。
何かを守るための力としての銃。銃の扱い方。知識。
そして親権者代理として、クリストフにとっては「人として生きていくためのきっかけ」という意味合いでのアカデミー入学許可をくれた。
そして、守りたいという気持ち。
沢山のものを与えてくれた貴方を、貴方は殺せというのか?
そんな戸惑う気持ちとは裏腹に、言葉はさらりと口を衝いて出てきてくれた。
「俺が貴方を殺せばそれで貴方は満足なのか?…そんな事で俺達の過去が変わるとでも?」
貴方を殺したとしても一体何になる?
貴方がいなくなるだけで、世界は特に何も変わるわけでもない。自己満足でしかない。
俺に何かを守りたいと思わせた貴方が「殺せ」と言う。
俺にとって守りたい対象である筈の貴方を?貴方は俺の思いを裏切らせるのか?
その後考えた結果。
安易に導かれた答えに瞳は閉じたまま、低く声を漏らして自嘲する。
叔父が未だに呆然としていて聞いていないのを良い事に、クリストフは呟いた。
「———貴方が謝罪したからって過去を修正できるわけじゃない。殺す価値が特に見当たらない。………大体、自己満足で殺せと言われても、殺した側が満足するわけでもない」
しかし、本当はどこかで殺したいと思っていたのかもしれないが。
……ああ、訂正しよう、本当は殺したいと思っていた。
エアハルトが、自分を裏切ったのだから信用ならない、と殺気立っていた。
確かに、自分としてもその衝動に駆られようとした。
しかし、よくよく考えてみれば、殺した後で残るものは犯罪者の烙印と空虚な感情、絶望でしかなかっただろう。
だから、思いとどまったに過ぎない。
「…………?」
不意に視線を感じてクリストフが瞼を上げると、コルネリウスが視線をこちらに向けていた。
彼は戸惑いがちに口を開いて言葉を発した。
「………オレを、殺さない、のか?」
戸惑いがちながらも、真剣な問いかけ。
それに対して。
「…貴方に殺すほどの価値を見出せない。だから、殺さなかった…それだけだ」
クリストフは冷たい視線と言葉を返すことで答えた。
そうすることで、心の奥底の奥に潜んでいた願望に重い鍵をかけて封印する。
「…………そうか、殺してはくれないのか」
なんて悲しげな響きなのだろう。だけれど、それが彼が最大限与えられる罰だ。
後悔しながらでもいい、ここで死を選ばせず、残りの人生を生きてほしかった。
その感情に呼応するように、側頭葉に痛みが奔る。
何かを告げるように痛みは繰り返した。
「答えは保留だ……俺の答えが出るまで、残りの人生を生きればいいさ」
その痛みを無視し、耐えてニヒルに笑う。
貴方の自己満足で貴方を殺してなどやるものか。
それが彼にとっての答えだった。
「まずは、ENFORCER計画を止めなければな…貴方でも出来るでしょう?」
その問いに、コルネリウスは虚ろな様子だったがかすかに頷いた。
クリストフはそれを満足そうに見やって、ニヒルな笑みを保っていた。
不意に、軽い眩暈がした。
次第にくらりと世界が回り、たわみ始める。
(……まずい)