No Title Phase:31

Phase:thirty-one
side-C
「………っ」
そして彼はベッドの中で身じろぎした。
顔色は何とか良さそうだ。
表情も一時期は酷く苦しそうだったが、今は比較的落ち着いている。
それでも、まだ苦しそうだが。

彼に付きっきりだったコルネリウスはそれに疲労感を覚えながらも安堵をも覚えていた。
尤もこんなもんじゃ罪滅ぼしにもならねぇけどな、とは思ってはいたが。
甥が急に倒れて、寿命が縮んだような気がしたのは事実だ。
おまけに高すぎる熱があったものだから、急いで医師を呼び出して診察を頼んだ。
若い女性医師がやって来て診察を始めた。

診断結果は睡眠不足と過労、あと原因不明な病だったそうだ。

原因不明な病気については情報提供(どんな時に起こるか、等)を求められたが、「生憎、甥とは連絡を取っていない」とか、「そういう症状が発症した時に立ち会っていない」とかと言うと、医師は「ちゃんと連絡を取ってくださいね」と釘を刺した。
そして、「彼の身元を確認できるものはないでしょうか?」と彼女に尋ねられ、内心で彼に謝りつつ彼のスーツのジャケットを探り、内ポケットに軍のIDカードを見つけそれを引っぱり出した。

以下はその時の会話。
「クリストフ=N=L=クロイツァーさん、ってあの…?」
「ああ、軍の将校だが…」
「友人に軍のオペレーターがいましてね、彼女から話は聞いていたんです……若くて格好良くて人気もある将軍がいるって。その人の名前がクリストフ=N=L=クロイツァーだったんです。隠し撮りした写真を見せてもらった事もあったんですけど、実物は初めてなんですよ。しかも、隠し撮り写真は高値で売れるのだとか……」
医師は背後のオーラに役得感を盛大に滲ませてそう語っていた。
そのオーラを言葉に表すならば、「こんな所で本物に会えて役得〜!!医師免許取ってて良かった〜!!」という感じだろうか。
(意外にもシュトッフェルは有名人だったらしいな。オペレーターに隠し撮りまでされるとは…まあ、父親に似てるし、な。そう言えばヴェル兄モテてたしなぁ。ああ、隠し取りの件がばれたら、あいつは義姉さん似の微笑みを浮かべて写真を没収するんだろうな…しっかし、あの微笑みはまずいだろ…。見てる方がうすら寒くなるわ、土下座して従わざるを得なくなるわで……あー怖ぇなぁー…!……ってなわけで、頑張れよ…オペレーター……誰か知らんけどさ……………)
医師とその友人に呆れてものも言えずにこっそりと医師の友人に同情しておいたが、クリストフはそんな事は気付く由もなく、身じろぎすらせずにただひたすら眠っていた。
「彼が目覚めるまでは一応こちらに来てみますが、それで構いませんか?」
「…ああ、頼む」
彼女は「それでは、また明日来ますね」と言って帰って行った。
彼女を見送って帰って来たコルネリウスはベッドサイドに置いていた、先程まで医師が座っていた椅子にかけて、クリストフの額に手をあてた。若干汗ばんでいて多少は熱がひいたのは何となく分かったが、まだ熱は引いていない。
感覚的には、39度位だろうか。
冷え症故に冷えた手がその熱を吸って温まっていく。
その手がすっかり温まってしまったら、今度は逆の手をクリストフの額に当てた。

その光景がなんだか懐かしくて思わず懐古の笑みをこぼした。
熱を出した自分を兄達が交替で看病していたという、今となってはどうってこともない懐かしすぎる思い出。
自分は病院に行くのを嫌がって。
そんな自分を無理やりにでも病院に連れていったであろう両親は物心ついた頃には既に他界していて。
10歳以上離れていた長兄が薬を買いにいっている間、3歳しか離れていなかった次兄は何か出来ることが無いか考えていて。
結局、付きっきりで氷が沢山浮かんだ水に浸けて冷やした手を熱っぽい額に当ててくれた。
今振り返ってみれば、タオルを濡らして使えば良かったじゃないかと思う。何も冷たい思いをしなくてもよかったのに、と。
だが、当時はそれでもありがたかった。
ひんやりとした冷たさと次兄の気持ちが幼心でも嬉しく思っていた。

今でも覚えている。
熱に浮かされた意識の中で聞いた、次兄の言葉はあまりにも優しくて。
いたわりに満ちていて。
でも、ちょっと的を外していたような気もする。
裏なんて、深い意味なんて何にも無かった言葉だったはずだ。
それなのに妙に苦しくなって、泣きたくなったこと。
『僕も兄さんもお前の傍にいるよ。だから、安心してていいんだ』
「守ってあげる。」というニュアンスも含まれた言葉だった。
まるで柔らかなヴェールのような。
その言葉にふわりと包まれた当時の自分は、将来の自分の姿がどんなものかが見えていたのかもしれない。
すなわち、今現在の自分のあまりにも愚かな姿を。

どのような形であれ、そんな言葉を言えるような兄を、兄嫁を愚かな自分は殺してしまった。
両親をクリストフから、クリスティアーネから奪ってしまった。
彼らからすれば、恐らく理不尽だと言われかねないような理由で。
両親がいないという寂しさを、辛さを身を以て知っていた筈なのに、それを彼らに与えてしまった。

その罪を償いたくても、罪は許されるはずがない。
だから———殺して欲しかった。
せめて、次兄の面影を色濃く残す彼の手で終わらせて欲しかった。
彼に殺してくれるように願った。
しかし返ってきたのは拒否。『殺す価値が見当たらない』という理由付きで。
其処には自分が知らない、クリストフがいた。
凍てついた眼差し、氷刃のような言葉。
それらは確かに自分を深く抉ったが、決して致命傷のように酷く深いものではなく。
確かに深いけれども中途半端な痛みを伴うようなものでしかなかった。

治りかけた傷を抉り返した時のような中途半端な罰。
だが自分にとっては、あまりに残酷な罰だった。
許されるはずはないと分かっていても逃避したいと願うほどに。

無意識に部屋を走り出て、薬を置いている部屋に向かった。
そして手にしたのはハルシオン。
薬のラベルもろくに確認せず、量もはからずに口に運んだ。
そして、水もなしに嚥下する。

部屋に戻る間に、手繰り寄せた優しい昔の記憶がゆっくりと漂っては消えていく。
何とか戻って椅子にいささか乱暴に座った。
薬の影響か、らせんを描くように視界がたわんでいく。
意識が落ちる瞬間に、『———俺達の分まで、生きろよ』と生前の次兄の声がした。
彼が目を覚ましたのはそれから14時間後だった。
それから、クリストフの目が醒めぬまま3日が過ぎていく。
□□

side-Ch

ゆらゆらと漂う意識。
水の上に浮かんでいるような感覚に何となく心地よさを感じる。
そう言えば額に冷たい感触がする。
何だろう?

————!

誰かが何かを言っている。
だが何を言っているのかは分からない。
その声に耳を澄ませば意識はより上に引き上げられる。

………っ、意識が戻る、か?

そう思った直後、半ば強引に何かの力で引きずり上げられた。
「…………あ」
喉から最初に漏れ出したのは、ただの掠れた単音だった。
何故だろうか、喉がカラカラで僅かばかりの痛みを訴える。
視界に映ったのは、叔父と白衣を纏った女性(恐らく医師なのだろう)の安堵で満たされた表情だった。どうぞ、とコップ一杯の水を手渡される。声がうまく出ないので、会釈をしてそれを受け取って飲み干す。室温の水がのどに優しい。喉が潤って、ようやく声が出るようになったところで状況確認。
どうやらベッドに寝かされているらしかった。
スーツの上着は脱がされていたし、首元までワイシャツのボタンを留めていたはずなのに呼吸が楽だと思ったら、いつの間にやらボタンがいくつか外されていた。
自分でそれをやれるはずもなかっただろうから、きっと誰かがやってくれたのだろう。
「気がついたんだな!?」
きっと、この後顔を覗きこまれるのだろうなどと思っていたら、それは現実になった。
『こんな光景、前にもあったな』などと懐かしく思い自然と笑みが零れた。
ただ、その眼には涙が浮かんでいた。
それにしても、まだ目覚めきってはいないようで意識が未だにふわふわと漂っていた。
「…3日も眠ったまんまだったから、心配したぜ」
「今回、貴方が倒れられた原因は過労と睡眠不足の他に原因不明のものがあるようですね」
「過労と睡眠不足と原因不明…ですか?」
「そうです」
原因不明。
無意識のうちに、その言葉を頭の中だけで反芻する。

額から冷たい手が静かに退いていくのが見える。
多分叔父の手だ。彼は極端な冷え症だったから。
額に先程感じた冷覚は恐らくこれだったのだろう。
その冷覚でゆっくりと意識がはっきりとしてきた。
医師の手がクリストフに異常が無いかをくまなく確認していき、やがてその手を放してカルテに何かを書き込んだ。
クリストフが上半身を起こしたのを確認すると、彼女は温かみのある色のルージュで彩られた唇を開いた。
「ええ、現在貴方の様子を見ている限りでは、まだ体温が38.5度あるという事以外は何とも無さそうですが…ひょっとしたら遺伝子レベルで何か変異が起こっているのかもしれませんね」
「遺伝子レベル?」
「ええ、その可能性もあると思われます」
「………………まさか」
遺伝子レベルでの問題があるかもしれないと話す医師。
ハッとしたように呟く叔父。
何か思い当たる節があったのだろうか。
下手したら自分より彼の方が自分の体の事はよく知っているのだろう。
あまり、その原因を認めたくはないが、それが事実なのだからどうしようもない。
「心当たりがおありですか?」
「…まあ、な」
「?」
医師の言葉に、彼は酷く曖昧に笑う。
ごまかしている、といった風に。
俺はそれに何かが引っ掛かった感じがした。
例えば、一般の医師には言えないような事があるのかもしれない。
その後、俺の目が覚めたという事で医師は簡単なアドヴァイスという名の注意と簡単な薬の処方をして帰っていった。
両手の中にある睡眠導入剤が入った袋をじっと見つめる。
久しぶりに見た、調剤薬局なんかでよく貰うような袋だ。
多分、処方されたのはトリアゾラムだろう。
一般的な、ごくありふれた睡眠導入剤だ。
(…だが、この薬は果たして効くのか?)
生まれつきなのか、遺伝子改造の成果なのか。
大体の薬は効かない体質らしく、ついつい疑ってしまう。
正しい生活習慣をこれで身に付けろという事なのだが、ハルシオンが効かなかったらどうしようもない。…それにしても、何故彼女は普通の薬ならいざ知らず、こんな睡眠導入剤まで持っていたのだろうか。

やがて、彼女を玄関まで送って行った叔父が戻ってくると、ベッドサイドの椅子に座って開口一番言った言葉は。
「シュトッフェル、頼む…………………一回検査を受けてくれ」
「…………はい?」

(何ですか、検査って?)
そんな疑問が頭を駆け巡ったが、何故か叔父の目は真剣なので聞き返せなかった。

何だか気まずい沈黙が暫く起こった後。
叔父はしばし躊躇って、それでもやはり躊躇うような声音で話し出した。
「お前は遺伝子操作を受けて、今こうして生きてるよな。………もしかしたら、その遺伝子操作の反動があるのかもしれないんだ、だから」
「………………まさか」
遺伝子操作の反動が起こるかもしれないというのは考えていなかった。
そうだ、元々の遺伝子を弄ったのだから、何らかの副作用のようなものがあるのは当然の事か。

例えば、寿命が短いとか。
例えば、今では治療方法が失われてしまった難病に罹っているとか。
どうして、そんな簡単な事に気付けなかったのだろう。
ほんの少しだけ、寒気がした。

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