Phase:thirty-four
3時間程のフライトの後、スイスのジュネーヴに到着した。
空港を出てすぐにいつの間にやら手配されていた車に乗り込んで、ヌーシャテルを目指す。
(…ったく、随分とうまいこと手配したな)
ひっそりとクリストフはため息をついた。
まだまだ時間がかかりそうだと思い、座席のシートに背中を預けて窓の外に目を向ける。
不意に携帯電話の着信音が鳴った。
軽快な電子音。
着信音が非常に耳障りだという理由で着信音が鳴らないように設定している自分のものではない。
隣でごそごそと何かを探るような音がする。
という事は、叔父のものか。
しばらく探るような音がした後、「クロイツァーだ。で、何だ?」という落ち着いた声が聞こえた。
「ああ、今そこへ向かっているところだ」
「———何?」
声に不審というよりは不穏な調子が混ざったのを感じた。
何があったのかはよく分からない。
ただ、頭の中でけたたましい位のサイレンと警報が鳴っていた。
本能からの警告には従った方がよさそうだった。
最初に携帯電話から漏れるであろう音声を聞き取ろうと試みたが、一向に声は聞こえない。
叔父の携帯電話の性能が非常に良いのか、はたまた、向こう側の人物が小声で話しているのか。
やたらと気になってしまうその会話を聞き取ろうとしているのを悟られないように窓の外を見つつ、聞き耳を立てる。
相変わらず、漏れてくるであろう声は聞こえない。
車窓の外を速やかに流れていく景色は確かに珍しい。
近代化していながらも自然がいまだに残る街並み。
アカデミー時代の歴史の教科書にあった昔のヨーロッパの街並みと何ら変わらない風情をもった家々が道路沿いに並ぶ。
何しろ、軍に入って以来軍本部以外に勤務したことがない身としては滅多に来ないところだ。
現在と過去が意外にうまいバランスで調和しているという予想外の感動を受け取りつつ、未来の光景もこうあってほしいものだと思う。
(…………ん?)
視界の端に映る車のサイドミラーが後続車を映し出していた。
しばしば窓の外…というよりはサイドミラーを見ていたが、後続車は空港を出発した時からずっと同じ。
車種だけではなくナンバープレートまで同じ。
恐らく目的地までも同じだろう。
後続車のドライバーの姿が目に映る。
最初は民間人かと思ったが、その服装に思いっきり見覚えがあった。
———ああ、気づいたと悟られてはいけない。これは尾行だ。
敢えて後ろを振り向いて確認しないことにしておき、眼球だけを動かして残る三方に同じ服装のドライバー、あるいは同乗者がいないかを確認する。
「————前以外の三方を囲まれている、か」
完全な包囲網を構築していないのはわざとだろう。
不完全な包囲網を築いた彼らが何を狙っているのかを察するのは容易だ。
狙いを言葉にするのも面倒な位だ。
そして、三方を囲んでいる車に乗る者たちが身につけている服装が示すのは、と頭を働かせる。
味方から所属部隊を区別しやすくするために、部隊によって制服のデザインは違うのだ。
「————確認完了。部隊名、第112陸戦部隊。総指揮はシェルトン=リー中将。」
答えはすぐに導かれた。
ため息をつきつつ僅かに俯いて右胸に左手を当てる。
布越しに触れる僅かに冷たい金属の感触。愛用の銃は相変わらずそこにあった。
いつでも発砲できるようにとメンテナンスは怠っていない。念のための予備の銃弾もいくらかある。
どんな非常事態でもこれらがあれば何とでもなると思って僅かに安心できているあたり、自分も大概終わっている。謂わばお守りのようなものだろうか。無意識のうちに再びため息をついたが、そのため息の意味さえ分からない。
そのため息はきっと奴らのせいだろうと半ば責任転嫁のようにしながらも、瞳を閉じて集中し、意識を深く潜らせてみる。ぼんやりと光が闇に浮かび上がっている。きっとそれは彼らが自分の中に存在しているという証。
もっと深くに意識を潜らせる。もっと、もっと。
更に意識を集中させる。
やがて見えてきた、何もなくただ広がるだけの空間。そこに広がる真っ暗で終わりの見えない闇。
そんな闇の空間の一番底に彼の意識は音も無く降り立った。
だが、全てを自身の中に閉ざすはずの闇は彼の意識を覆い隠さない。
ほのかに明るく青い光のような膜で闇と彼の意識は隔てられていた。
彼の意識の視線の先には穏やかに眠る人々。
そんな彼らを守るかのように闇が包んでいた。
それは、その光景はまるで———…
目の前に広がる光景はあまりにも懐かしく、そして切ない。
感傷に浸っていることに気付いて、はっとして意識を底から引き上げる。
いつの間にか聞き耳を立てるのを止めてしまっていた叔父の電話は未だに続いていた。
随分な長電話だ。
「確かに、妙だな」
「そうか…っつーか、お前、そこら辺の情報流しちまっていいのかよ」
「………」
「”それ”があいつの将来にかかわっているとなったらどうする?」
「あいつ、そこに侵入してきて計画書を奪ってきたみたいだぜ?」
「お前もあいつも、かくいう”奴ら”の一部じゃねえか」
「それにしても、ずいぶんと変わったな」
「何が、じゃねえよ。あいつに対する態度だ。昔に比べるとあり得ねえ位柔らけえじゃねえか」
「…まあいいか、ありがとな。……………じゃあな」
結局会話は聞き取れずじまいだった。
途中で聞き取りさえ放棄してしまったため、叔父に顔を見られたのさえ気付かなかったようだ。
だが、会話が何についてだったのかは叔父のその後の行動でおおよそ分かってしまった。情報源も何となく推測できる。
恐らく、クリストフが最も嫌うあの人だろう。時折出てきた『あいつ』は間違いなく自分の事だろう。
「……やられた」
さっと後ろを振り返ってしまったのだ。
クリストフが制止する暇もなく。
サイドミラー越しに、後ろの陸戦部隊の車の助手席に座っていた男が軍用通信機で何かを話していた。予想外の事態に密かに舌打ちしつつ、アカデミーで習っていた読唇術で何を話しているか、読み取ってみる。読唇術はかなりうろ覚えだったが、何とか読み取れた。
“奴らに気付かれた”
「ふ、俺が気付いていないとでも思っていたか?——無能ども」
そう呟いてにやりと笑みを浮かべる。
思い通りに事を運んでいると思い込んでいる奴らを混乱に追い込むのは思いの外楽しいものだ。
一度やってみると、予想外にも程がある位、はまってしまったりする。
隣で予想していなかったであろう事態に慌てる叔父をよそにクリストフは腕を組み、座席に背中を預けて目を閉じた。
そして計算を始める。膨大な規模の計算の結果、頭の中には様々な行動パターンが浮かんでくる。
どんなパターンでも自分が負ける可能性はゼロに等しい——この頭が錆びついていない限りは。
「どういう風に事を運んでくるかな?」
まあ、せいぜい楽しませてもらう事にしよう。
そうひとりごちて閉じたばかりの目を開き、遂に後ろを振り向いた。
それから焦りの色が浮かぶ兵士たちに微笑みつつ殺気混じりの視線で見据えて、一言声に出さずにこう伝えてみた。
———ゲーム、スタート
きっとわかるだろう。
その意味が、何を示すのか。それくらいは分かってもらわないと面白くない。
そう思いながら、クリストフは剣呑な光を瞳に宿して彼らが何らかの手段に出てくるのを待った。