No Title Chapter of Ingram: 03

気がつけば、僕は見慣れたようで見慣れていない場所に立っていた。
ここは地球連邦軍の軍事施設……いや、本部の中にある小さな庭園だっただろうか。
シュトッフェルはなぜこんなところへ僕を遣ったのだろう?

ふと気になって、胸のポケットに視線を落とした。僕はここにIDカードを入れていたのだ。
いつもの習慣の通りにIDカードが入っており、それが僕をなぜだかひどく安心させた。
IDカードに記された氏名と胸部から上の写真は僕の記憶と寸分違わぬものだった事もその要因の一つになっただろう。

——ただただ奇妙なのは、死んだはずの人間である僕が今こうして生きていてここにいる事だった。

まあ、本部の中に入らない事には話は進まないという事で、とりあえず中へ入る事にした。

……とはいえども、僕はいったい何をすればいいんだ? シュトッフェルは「レナス=アーヴィングの監視をしてくれればいい」なんて言っていたけれど。
適当にふらふらと通路を進む。目的地なんてない。ひたすら前へ前へ。すると三叉路にぶつかり、何となく気が向いた右へ足を進める。

「これから先、特殊任務部隊本部の為 関係者以外の立ち入りを禁ずる」

こんな掲示に出くわしたが、気にも留めず先へ進む。
トラブルになったら多分、シュトッフェルがなんとかしてくれるだろうと楽観的に考えながら。

「——あなたの所属は?」

こんな風に問いかける人がいた。

自分のいた部隊とはデザインの異なる制服。黒のロングコート風の上着に白いシャツと青いネクタイ。
これらを纏ったその人物はまだ幼さの残る顔立ちをしていた。中性的な顔ではあったが、体つきはこの人物が男性である事を物語っていた。

彼に所属を聞かれたので、IDカードを見せる。彼は戸惑ったような顔をしながらIDカードをこちらへ返した。

「掲示を見なかったのですか?ここは立ち入り禁止ですよ、サイオンジ少尉」
「旧友に会うのも駄目かい?」

「申し訳ないのですが、許可は出来ません」
「そう、仕方ないか」

断られるのであれば仕方ない。
シュトッフェルがなんとかしてくれないだろうかなどと思っていると、足音が聞こえた。こちらへ近づいてくる。

どうせまた同じ問答をするのだろう、それなら面倒くさくないうちに去ってしまった方が得策だ。そうして踵を返す。

「クオン=サイオンジ少尉か?」

先程の彼とはまた違う声がした。この声は、明らかにこちらに対して問いかけをしている。

待てよ?この声、聞き覚えがあるぞ? こいつは————考えるのをやめて振り向いた。
やはり予想通りの人物がそこにいた。

「やっぱり来てくれたんだね。————シュトッフェル」

「こちらが来ざるを得ないだろう、場所が場所なだけにな」

記憶の中の彼よりはやや年月を重ねたような感じではあるし、やや髪の色が薄くなっているような気もするが、間違いなく目的の人物”クリストフ=クロイツァー”であった。
彼はやや気怠げに頷きつつ、そう漏らした。
招いたのはこちらだし、と言って特殊任務部隊本部の奥へと僕を誘った。

途中、僕に問いかけた人物とすれ違った。彼はわずかに表情を驚愕に染めていたもののすぐに取り繕うと軽い会釈をして通り過ぎていった。

「彼は部下なんだ、もし彼が無礼な事をしていたなら部下に代わって非礼を詫びよう」
「別に変な事は聞かれてはいないよ。だから君が謝る必要はどこにもないと思うけれど」
「そうか」

「君もしっかり上司の顔だねぇ。そうならざるを得なかったのかもしれないけれど、とは思うよ」
「……まあな」

クリストフに伴われ、分岐のあまりない通路を進んでいく。そうやってどれくらい進んだだろうか、通路に終わりが見えた。
クリストフは一番奥の部屋で話があると言った。僕も彼に話があると言った。
最奥の部屋はアキシオンフォース隊長執務室というプレートが掲げられていた。
ロックを解除し、中へ入る。僕もそれに続いた。

よく見る、自分のいた部隊の隊長の執務室と大してレイアウトは変わらない。
だが、心なしか広い気がした。

「だいぶ歩かせてしまったようですまない。ここが恐らく一番安全な部屋だろう。職務上盗聴、盗撮、その他諸々の行為を出来ないように防護しているからな」

「だいぶ聞かれたくない話……だからでしょう?」

「そういう事だ。そこのソファにでもかけてくれ、何か飲み物でも持って来よう。何がいい?」
「……そうだなぁ、じゃあコーヒーで」
「了解した、少しだけ待っていてくれ」

執務机の前の来客用ソファにかけるように促され、それに従った。
クリストフは部屋の奥へ消えしばらく姿を見せなかったが、やがてお盆にカップを二つのせて戻ってきた。
僕の目の前にカップを置き、砂糖とミルクの入った容器をテーブルの真ん中に置き、彼もまた僕に相対するように向かいのソファに座り自分の手前に彼のものらしいカップを置いた。
カップの中のコーヒーは香ばしい香りを立てている。彼は疲れたかのような息を吐き、目を閉じた。その状態でカップを口へ運んだ。
昔ちらっと見たことのある「何を言うか考えている様な顔」、とでもいうのだろうか……そんな表情を微かに浮かべて目を開き、次いで口を開いた。

「————ああ。まずは謝らないといけないな、こちらの我が侭で君を付き合わせる事になってしまった。とても言葉に表せないくらい申し訳なく感じている。一旦君が死んだと言う事実をひっくり返してしまったんだ」
「それはもうしょうがない事じゃない?僕としては死んだままでもよかったけど、またこうして君に会えたのも嬉しいからね」
「……そうか。君に頼んだ事なんだが———”レナス=アーヴィングの監視”、対象となる彼女は3日後こちらに赴任する事になっている」
「……え?」
「どうした?」
「彼女が来るのが3日後だって?」

コーヒーの香りを楽しみつつ、彼の話を聞く。
そして、引っかかった言葉。クリストフは疑問符混じりの僕の言葉に思いもよらなかったのか、軽く目を瞬かせた。
だがすぐにその理由を思い当たったらしく、顔を少しだけ顰めた。

「言うのを忘れていたな、もう一人の俺…。クオン、君はレナスが既に俺の部下になっていると聞いていたよな?」
「…言われてみればそうだね」
「もう一人の俺が君をここまで送る際に、彼女が赴任する前の本部にしたようだ。そちらの方が怪しまれないと踏んだんだろう」
「あ、時間をちょっと遡っちゃったと言う事なの?」
「そういう事だ。…とは言え、君が死んだ日よりは後ではあるが」

なんと、僕は死んで蘇っただけでなく、時間旅行までしてしまっていたらしい。
ここまでくれば驚くなんてことはもはやない、かもしれない。

「君はこの部隊に配属された事にしているが、その方が情報収集もできるだろうからやりやすいだろう」
「なるほどね。それで、僕の方からも提案があるんだけど」
「何だ?」

「僕が、いや”戦死したはずのクオン=サイオンジ”がここにいるのってまずいんじゃない?だからさ、僕は別の名前を名乗った方が良いんじゃないかと思って」
「それも……そうだな。基本的には君に任せると言う話だったし、君がそうすべきと思ったのならそうしよう」
「欧米人って顔じゃないけど、たとえば……”イングラム=ナイトレイ”とか?」
「いいんじゃないか? 今後はクオンではなくイングラムと呼ぶ事にしようか。呼び間違えるかもしれないがそこは許してくれ」
「君の事だから呼び間違えはなさそうだけど、注意だけはしておいてね」
「了解、イングラム=ナイトレイ大尉」
「僕、大尉になるの?」

「ああ。彼女が大尉として赴任してくるからな、先任大尉というわけだ」
「そういう手続きとかどうするの?」
「ああ、こういうものは俺に任せてくれ。なに、すぐできるさ」

言うなり、執務机上の端末に向かう。すぐにキーボードで何かを入力し始めた。
暫く経って入力が終わったと思ったら、今度は何か印刷するのかプリンターが動き始めた。印刷枚数はあまりないようだ。
また、少しだけ入力した後プリンターから印刷物を取ってソファへ戻ってきた。

「できたぞ、イングラム=ナイトレイ大尉としてのデータ。パーソナルデータが必要だったが、それはクオン=サイオンジのデータから流用した。あとは……名前のミドルネームだが、国籍を君の母国・日本以外のものにした関係上入力必須だったものだから、君の誕生日にちなんで付けさせてもらったが。パーソナルデータが正しいものかを確認してほしい」
「……え、すごく早いね?」
「まあ、こう言う事だったら朝飯前だしな」

そうして渡されたのは先ほど印刷されたばかりのもの。ほんのり暖かい。
Name: Ingram Valentine Knightley
Sex: Male
Date of Birth: 2786.02.14
Blood type: A Rh(+)
Nationality: the United States
Religion: Christianity
Belong: Special Operations Command/ AXION FORCE
Grade: Lieutenant
Height: 170cm
Weight: 68kg
Dominant Hand: Right
Hair: Darkbrown
Iris: Darkbrown

……ご丁寧に僕の顔写真まで入っている。

「大丈夫、これは僕のデータで間違いないよ。僕は日本人だし、一応仏教徒だけど国籍と宗教は名前と整合性を合わせるために変えたんでしょ?」
「そういうことだ。データはもう登録したから、あとはIDカードだな。事務側も忙しい時期ではないし、多分明日までには来るだろう」

彼はそう言って、再び奥へ行き何かしているかと思えばこちらへ戻ってきた。なにやら紙袋を提げている。
それを僕に渡した。中を見てみれば、彼が着ているものと同じ制服のようなものが入っていた。着替えろという事らしい。