彼の部屋を借りて、先ほど渡されたばかりの制服に着替えてみた。驚くほど制服のサイズがぴったりだ。
鏡がどこにあるのかわからないので自分の全身像を見ることはできなかったが、それでも今まで着慣れていた制服のように馴染んでしまったことは分かった。
最後にネクタイを締め、目測で曲がっていないかどうかを確認して部屋を出た。
「早かったな」
「そんな事無いと思うけれどな」
戻った時、クリストフは先ほど自分が淹れたであろうコーヒーを飲んでいたようだった。僕が部屋から出てきたのに気付くと、僕はそんな言葉で出迎えられた。
僕は思ったままに返した。本当に早く着替えていたわけではなく、むしろいつもより時間をかけていたはずだったのだから。
また僕は先ほどかけていたソファに腰を下ろした。
「……やはり見立て通りだ、よく似合っている」
僕の答えに対して微かに頷き、そして驚くほど静かではあるが柔らかな声音でそう彼は言ったのだった。
彼はいつの間に、こんな声音で話すことができるようになっていたのだろうか。少なくとも、僕たちがアカデミーにいたころではありえなかった。大人の落ち着きとでもいうのだろうか。
こちらを見る眼差しも先ほどに比べると別人であるかのように柔らかい。最初に会った方のシュトッフェルに近しいものを感じていた。
「ありがとう、と言っておくよ。それにしても、制服の調達がだいぶ早かったね?」
「まあな。前もって用意していたからな」
「そうなの?……僕の体格なんて知らなかったはずなのに、サイズも丁度良いものだったし」
「大体の人間のサイズは把握しているからな」
「それ、君が言うと洒落にならないね。本当に把握していそうだから」
「大方本気なんだがな」
「冗談じゃないんだー……って、なんでそんなところまで把握しているのさ」
「何故だろうな」
自分でも分からないが、とクリストフ…シュトッフェルは言う。
あと部屋は……と言いかけて、彼は僕の胸元あたりに視線を移した。
「……どうやら一つ忘れ物をしていたようだ」
「忘れ物?」
「ああ」
そう言って、クリストフは自分のポケットに手を突っ込んで「何か」を探し手を引き抜いた。
そのまま身を乗り出し、僕の胸元にその「何か」を付けた。
「これって……」
「これか?アキシオンフォースの部隊章だ。あとは階級章だな」
「へえー」
「着た後で部隊章と階級章を付けた方が見栄えが良いだろうし、後で渡そうと思って持っていたんだ」
「なるほどね」
胸元で階級章がキラリと光る。
かつてつけた事のない部隊の、階級章。
「これで晴れて、君はイングラム=ヴァランティン=ナイトレイ大尉だな。今更必要ないとは思うが、俺は上司にあたるクリストフ=ノイエン=レオンハルト=クロイツァー少将だ」
「ちょっと君、いつの間にそこまで昇進したの?」
「さあ?いつの間にかここまで追いやられたようだ。多分クロイツァーという家柄的な問題もあるんだろうがな」
「君もだいぶ面倒臭い生まれだよねぇ。地球ではクロイツァー=コンツェルンの跡継ぎっぽいし、テトラリスでは王位継承順位第一位の王女の弟なんでしょ?」
「俺はそこまで喋ったのか」
「うん、割とあっさり王女様の事を姉さんって呼んでたけれど」
「…………お喋りが過ぎたようだな。喋ってしまった事は仕方ないが内緒にしておいてほしい」
「それは君と僕の間の秘密にしておいてあげるよ、”閣下”」
僕はニヤリと笑いかけてみせた。
クリストフも微かに笑って、こう言った。
「そういう事にしておいてくれ、イングラム」
□□
急ぎ他の面々にイングラム=ナイトレイ大尉として赴任してきたことをシュトッフェルによって紹介され、その日のうちから慌てて部隊の知識を取り込んで凡そ3日。
遂にこの日が来た。
□□
最初に報告を受けて、監視することになる彼女の顔を拝んでやろうと思いその場へと足を運んだ。
少しぼんやりとした表情で立っていた彼女。表情こそぼんやりしていたが、一言で言えば「キリッとした美人」だ。170cmはありそうだ。着慣れない真新しい軍服を身に纏った彼女を案内する役を買って出た。
「アーヴィング大尉。新たに君の上官となる方を紹介しよう」
前もって聞いていた情報では彼女も大尉だそうだ。
もっともらしい声と口調を作って、僕はそう語りかけた。結構作り声と口調は維持するのが難しいもので、普段の口調でもっと話をしたいところだがそう簡単にはいかない。
結局何も会話をすることもなく彼女を案内し、ややあって足をとめた。
ここはシュトッフェルがいる執務室だ。
「この部屋にいらっしゃるそうだ。閣下、ナイトレイです。大尉をお連れしました」
“ああ、どうぞ”
僕の声にシュトッフェルがいつもの口調で返し、ドアのロックが解除される音がした。
「失礼します」
僕が一歩足を踏み入れる。ドアにぶつかる寸前でドアが開く。
目を伏せつつ、彼女も僕に続く。
シュトッフェルの直前に彼女が立つように位置を考えて、僕は彼女の左隣に立つことにした。
「ナイトレイ大尉、お疲れ様でした」
「いえ、閣下お気になさらずとも」
「そちらが、アーヴィング大尉ですか」
「はい」
そこでようやく彼女は視線を前に向ける。
僕も改めてシュトッフェルを見る。
彼の印象は、よくあるかもしれない表現だがどこにでもいそうな普通の人だ。
どう見ても軍人という雰囲気でもない。
僕とは違う人種であるということを示すその青い眼差しは優しい。
けれど、何か寂しさのようなものを微かに感じた。どうしてだろう、その感情が気になってしまう。
顔立ちは、何というか中性的で整っている。
お姉さんのような、女性の格好をしても案外似合うんじゃないだろうか。…身長が高すぎるが。
骨格としては、僕に比べれば華奢な印象さえ持つ。
「初めまして、アーヴィング大尉。今日付けであなたの上官となるクリストフ=クロイツァーです。階級は少将です」
彼女はしばらく何かを考えるような顔をして、姿勢を整えて口を開いた。
「初にお目にかかります。私はレナス=アーヴィング大尉であります。精一杯働かせていただきますので、ご指導のほど宜しくお願いいたします」
「こちらこそ。私の方も着任して間もないので、上司であるこちらがミスをする可能性を否定できません。ミスに気付かれたらすぐにご報告をお願いします」
彼はちょっと変わっていた。
通常であればここで敬礼をするものだと思っていたが、彼は彼女に手を差し伸べたのだ。
握手を求めているらしい。彼女もその手を握り返す。
「あー、アーヴィング大尉?」
僕が彼女に声をかけた。すごく申し訳なさそうな感じになってしまったが。
それに気付いたらしい、彼はそっと手を放した。
そして、彼女はこちらを向く。
「はい」
「…自己紹介をしていなかったと今更気が付いた…んですが…」
「貴方の事だから、とっくに済ませていたのかと思ってましたが」
「ええ、失念していたようです。では改めて、私はイングラム=ナイトレイ大尉だ」
「ナイトレイ先任大尉ですね。私も改めまして、ご挨拶させていただきます。レナス=アーヴィング大尉です」
シュトッフェルの横槍が入る。声からしてからかっているような気がするが、僕の知らない間にこんな声もできるようになっていたのか。
それに僕はばつの悪いような笑みを浮かべて、名を名乗った。
彼女も自己紹介という形で返す。
「今後とも、よろしく頼みます。…さて本題に戻すが、クロイツァー少将が率いられるのは、特殊任務部隊・通称アキシオンフォースだ。我々は、大規模戦争時には偵察・正規部隊の先導・捕虜奪還・敵補給路への襲撃及び破壊・空挺部隊及び空中機動作戦における降下地点の選定誘導・空軍航空機の爆撃誘導及び破壊状況の確認等を行う。非軍事的作戦及び低列度紛争においては、正規部隊の投入が時期尚早と判断された敵国・敵支配地に潜入し偵察・監視・軍事拠点の破壊工作・民間不正規防衛グループの支援等の作戦に従事することとなる」
「……はい」
「他にも特殊部隊は存在するが、他との特殊部隊との大きな相違点は、敵支配地域における情報収集能力…特に諜報戦・心理戦等の不正規戦に特化している点だ」
僕はさらに続ける。
この部隊は、通常の部隊と比較すると人数は少なく、戦争における非合法工作に従事する為あらゆるスキルを有する事を隊員には要求していると。しかしながら、彼女・アーヴィング大尉は既にその要求をクリアしていると。
カミサマが送り込んできた人材だということだし、実際にはアマチュアなのかもしれないのに。
説明する僕とアーヴィング大尉を、シュトッフェルは見ていた。
先程のからかう様な色は無い。
冷たいとも言い難い、全ての感情を消し去ったような表情と眼で、だ。
僕が気づいたことに気づいたのかもしれないがアカデミー時代に時折浮かべていた、ほんの少しの苦悩の表情を浮かべて僕たちから視線をそらした。