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地球連邦軍本部特殊任務部隊隊長室にて。
レナスは上司の執務机で作業をしていた。
私用で、今はここにいない上司の代理をするのは補佐官としての仕事だ。
今頃、あの人の…クリストフの遺伝子はまた不安定になってしまっているだろう。
彼とその姉の持つ、神のいる空間へつながる遺伝子。あれは非常に不安定だ。
その遺伝子の本来の役目である「神の空間へのアクセス」にも、命の危険さえ伴っているとんでもない代物。
時折彼が体調不良で休みを取るのも、その不安定さが起因している。
だが、彼の複製体たちにはそのような兆候は全くないのは何故なのだろうか。その辺りはよく調べていなかった。
「————っ」
突如起こった、頭に奔った痛みにも似た甘い痺れを伴う眩暈に、彼女は書類にサインする手を止めた。
反射的に頭を押さえる。
暫くは手を休めなければ、止まらないだろう。
「…っ、あの人の妨害が働いたようですね。閣下に幻影を見せるなどと……無駄な事を…」
そうひとりごちる。
『あの人』が何かを彼女の上司に仕掛けるたびに眩暈が彼女を襲うのだ、それだけ彼と彼女はそれだけ深く繋がっている。
しかし、なんてタイミングの悪い。…いや、彼はそれを狙っていたはずだ。
一つだけ深い溜息をついて、サインを済ませるだけ済ませ別の書類に目を落とす。
それは月間累計戦死者数報告書だった。今回はテッサリア条約機構軍との大規模な戦闘があったのだが、果たしてどれだけの軍人がこの戦闘で亡くなったのだろう。
彼らの名前は記される事なく、ただの記号で示される。
ああ、感覚が麻痺しそうだ。
何時、自分が死ぬかも分からない状況に置かれている事を再認識する。
そして、神の掌の上で転がされているだけに過ぎないと悲しくなる。
「………………眩暈は何時になったら晴れるのでしょうか」
これ以上戦火が広がらなければいいのだが…軍人の身でそんな事を願う事自体間違っているのかもしれない。そう思いつつ、レナスは本来は上司のものである手元の端末を操作し始めた。自分で見つけた自分の役目を果たすために。
□□
通信機が着信を知らせる。
「はい。特殊任務部隊隊長室、アーヴィングです」
『こちら、元帥補佐官エメリックだ。クロイツァー中将は?』
「休暇を取っておりますが」
『中将へ伝言だ————休暇が明けたらすぐに出頭せよ、と必ず伝えろ。良いな?』
「ええ、はい…。————了解しました。…はい。失礼致します」
通信機の受話器を置く。
全く、気に食わない。
あの態度は横暴な飼い主のようなものだ。
軍においては全てが一方的だ。
元帥の”御意向”というものが軍を動かしている。
軍法によれば、本来元帥たる者はさして権限を持たなかったはずなのに、現元帥は軍法を書き換えてまで権力を握ろうとして、結果それを実現させた。
そして自らの思うままに戦況を動かしている。
一体どういうタクティクスを抱いているのかは知らないし、知りたくもない。
知ったところで、きっと吐き気がするだけだ。
あの人が決めた「世界が崩壊する日」、クリストフやアビゲイル、セシル、アリス、セレストたちを犠牲にして生き残るのは、そして全てを支配できるのは自分たちだけなのだと思い込んでいる。その気持ちですら、神に弄ばれているだけなのだと気付かずに。
そんな彼を、神は何時までのさばらせておく気なのだろうか?
「——忌々しい……いっそ、死んでしまえばいいのに」
窓から、元帥がいるであろう場所に向けて鋭い視線を送った。
その視線にあり余るほどの殺意を込めて。
「誰が死んでしまえばいいんだろうね、少佐」
「——!?」
不意に声をかけられた所為か、ぎょっとした表情でレナスは声のした方へと振り返った。
「イングラム少佐、でしたか」
「驚かせてごめんなさい。話をしに来たんだ」
「話、ですか?」
声の主はナイトレイ少佐だった。全く気付かなかった。
しかし、先程の発言はしっかりと聞かれてしまったようだった。
当のナイトレイ少佐は驚かせたことを詫びて、「話をしに来た」という。それにどこかホッとしたのも事実だった。
「そう、誰が死んでしまえば僕たちの周りは幸せになれるんだろうかと思う時がある?っていう話」
「——死んでしまえばいいなんて…」
「今さっき言っていたでしょ。——この部屋は誰にも聞かれない見られないでいい部屋じゃない。ざっくばらんに言ってみようよ」
勝手知ったる風にソファに腰掛け、足を組んだ少佐はにっこりと笑ってそう言った。
またも内心ぎょっとしながら、話を聞いてみようと仕事の手を止めた。
「………」
「じゃあ、僕からね?あくまで僕の周りが幸せっていうのであれば…で、いっぱい死んでほしいのはいるけれど。まずあの元帥。この間の極秘任務の事もだけど、自分の意のままにしすぎる」
「……元帥は分からないでもありませんが…」
「ああ、やっぱりね。次に上層部のほとんど。元帥の腰巾着だし元帥と同罪のようなものでしょ。あと、そうだなあ…」
「まだいるんですか」
「いっぱい死んでほしいのはいるからね。最後にカミサマ」
「———!?」
ホッとしたのは間違いだった。先ほど思ったことを後悔した。
元帥に死んでほしいだなんて、ざっくばらんにも程があると思うのだが。
彼の口から出た、最後に出た死んでほしいものに純粋に驚愕だった。レナスにとっての神様はたった一人。焦茶色の髪をした男だから。神様に死んでほしいだなんて…。
少佐は彼女の眼の前で手を振ってフリーズしていないか確認し、またソファに戻って言葉を続けた。
「あ、いやもう死んでるか。”神は死んだ”っていうからね」
「な、なにを…あなた、キリスト教徒でしょう?」
「…そうだけど。…ああ言葉を間違えたかな。カミサマ、というよりイヴリン=フェレスさえいなければいいのにって思うよ」
「———……」
「僕は、君の正体を知っている」
冷静な少佐の声で、レナスはどきりとした。どきりとしないほうが不思議だろう。
なぜ、レナスにとっての神の名を知っている?正体も知っているという?
それでも冷静を装って声を出す。心臓はうるさく鳴っている。
「……なんですって?」
「君が本当は軍人じゃなくてイヴリン=フェレスによって送り込まれたエージェントだって」
(……彼はなぜ、そこまで知っている?私の言動やデータには一切のおかしな点はなかったはずだけれど…)
下手にしらばっくれたり否定するとややこしいことになる、と感じた。
素直に認めることにする。どうせ逃げられないとも思ったから。
「なぜ……あなたが私の事を知っているのです?」
「随分素直な反応じゃないか。僕はクリストフ=クロイツァーによって送り込まれた死者だからね、彼に色々教えてもらっているんだ。——君はシュトッフェルの監視を目的にしている。そうでしょう?」
「………ええ」
「君が、彼に抱いている感情もなんとなくだけれど知っている。———協力しないか?」
「…………保留にさせてください」
彼曰く、彼はクロイツァー閣下に送り込まれた死者であると。
信用はできないが、どういうわけかこちらの手は見透かされている。彼女が抱く感情も「なんとなく」知っているといったが、おそらくは見透かしているだろう。
その上で協力しないかといってきた。
疑うに決まっている。「保留にしてください」とは言ったけれども。
仕方ないか、という顔で少佐は頷いた。