Phase:thirty-five
“ロートレック”
「クロイツァーだ…何だ?」
自分をこんな風に呼ぶのは、軍の上層部。
しかも携帯電話の番号まで知っているのは1人しかいない。
——電話をかけてきたのはジェレミー=R=ディクソンだった。
結局彼は元帥同様に、本当の自分にとってのビジネスパートナーにはなりえなかった。
しかし、10年程前の例の事件に関しての負い目がある所為だろうか、彼はその事を承知し更には軍内部とのパイプライン役までもかってでた。特に、『彼』に関する事についてはよく情報をくれるようになった。昔に比べれば随分と丸くなったようだとか思いつつ、同乗者に気付かれないように隣を盗み見た。隣に座っている青年は窓の外を見つめていた。表情は窺えない。
彼にとってはジュネーヴ…いや、ベルリンや軍関連施設以外の場所などは物珍しいものだったのかもしれない。
“そう言えば、クリストフの出生地はスイスのヌーシャテルだったな?”
「ああ、今そこへ向かっているところだ」
“大方、そこの研究所に向かっているんだろう?…それについての情報がある。最近、12生研…第12生命科学研究所の即時廃棄が委員会で決定された。もう今は機能していないんだそうだ”
「———何?」
“やはり、そう思うのだろうな”
コルネリウスの驚いた声で”そう思うだろうな”と判断したのか、ディクソンはその判断通りに言葉を付け加えた。
だがそれは何の意味もなさない。気休めにさえならないのだろう。
“まだ言うべき事はあるぞ”と言って、彼は急に小声にして先を続けた。
人には聞かれたくない事項だが、と前置いた。
“更に不可解な事がある。機能していない筈の12生研を第112陸戦部隊がヌーシャテルごと監視しているんだ。補足すると、通常廃棄された研究所というものは現行軍法上、憲兵が監視する任務を担っているんだ。……妙だとは思わないか?如何にも『大切な物を守っています』と言わんばかりにな”
「確かに、妙だな」
“………恐らく、この内容を知った者は皆そう思うだろうな。因みに第112陸戦部隊の指揮は、元帥の側近と噂されているシェルトン=リー中将だ”
「そうか…っつーか、お前、そこら辺の情報流しちまっていいのかよ」
“ふっ、別に構いはしないさ。何せ私は裏切り者(betrayer)だからな、既に元帥の排除決定者リストの頂点に名前でも載っているだろう。……それにしても珍しいな、そちらが私を気にかけるような事を言うなど。明日は槍が降ってきそうだ”
「………」
“取り敢えず、だ。ヌーシャテル第12生命科学研究所には軍隊を配置しなければならない程の『何か』が…恐らく最重要機密事項に値するようなものだろうが、それがあるとみて間違いないだろう。迂闊に…例えば単独で、近付くのは避けた方が良い。下手な動きをして近付こうものなら待ち伏せと尾行の挟みうちになってやられるだろう。今までにリーが指揮した戦闘を振り返ってみると、彼はいつもそんな手法を取っている”
コルネリウスは口角を吊り上げて、声を殺して笑った。
本当に、珍しいもの以外の何物でもない。
それこそ明日は槍が降ってきそうだ。
「”それ”があいつの将来にかかわっているとなったらどうする?」
“奴らが隠すものとしては相応しいだろうな。仮にそうだとしよう、最終兵器であるクリストフに欠点など1つたりともあってはならない。だから軍はそれを隠しているとも捉えられるな。それにAfter Apocalypse…いや、必要な時になるまで彼を束縛するという目論見もありそうだ。まるで、籠の中の鳥だな。必要でなくなったら、追い払うかあるいは…”
After Apocalypseという聞きなれない言葉に首を傾げつつ、クリストフが言っていた事を思い返した。
『ええ、”the ENFORCER project”の計画書を”拝借”して、内容を偽造して返しておきましたよ』
その時の会話の状況から察するに、彼は研究所から”拝借”してきたのだろう。
先程ディクソンから聞かされた研究所の様子を思い返して、ついつい『うわぁ』などと思ってしまう。
そして、思い返した事をそのままディクソンに伝える。
「あいつ、そこに侵入してきて計画書を奪ってきたみたいだぜ?」
“…奴らに悟られずにか…………末恐ろしい子だな。しかし、奴らも解っていないな。彼はいつか必ず牙を剥いて何処かへと飛び立ってしまうさ……あの頃と同じ様に”
「お前もあいつも、かくいう”奴ら”の一部じゃねえか」
“ふっ………そうだな”
互いの言葉を聞いて、両者はほぼ同時に低く、くつくつと笑う。
そして考えた。11年前の事件が起こっていなければ、意外に良い関係性を築く事ができたのかもしれないと。今でさえこんな口を利いてしまうのだから、きっとあり得たのだろう。親しい友人にまでなることができたかもしれない。今の2人のようなドロドロとした関係ではなくて、平和的な関係が待っていたかもしれないのだ。
しかしその事件が無ければ、彼らは赤の他人でしかなく、互いの人生という名の線は交差する事などなかった。
結局は矛盾(パラドックス)だ。
「それにしても、ずいぶんと変わったな」
“………な、何が?”
ディクソンが驚き戸惑っている様子が手に取るように分かる。
ホントに性格が変わってやがる。
それにコルネリウスは苦笑を零した。
「何が、じゃねえよ。あいつに対する態度だ。昔に比べるとあり得ねえ位柔らけえじゃねえか」
“気持ちだけは変わっていないはずだがな。だが、11年前は…………あれは完全に私がおかしかった。接し方が分からなかった、とでも言えばいいのだろうか…所詮私が何を言っても事実は変わらないし、彼には蔑まれるだけだろうからな”
「…………(オレは、とっくに蔑まされているさ………事実をあいつに知られた時点でな)」
口を挿むような気にもなれず、コルネリウスは言おうとした言葉を見送った。
ディクソンは更に声を潜めて先を続けた。声音が次第に悲痛なものに変わっていく。
“嘗ての私は、全てにおいて優れているクロイツァー少将…いや、今となっては大将か…彼に対する一方的で勝手な敵愾心を持っていた。彼に先に死なれて…いや、私が殺したのか…それで、くすぶっていた敵愾心の矛先を向ける相手を見つけられなかった。結局はその矛先を彼の子供だったクリストフに向けてしまった。だから………………、これ以上は何も言うまい。私はあの出来事をひどく後悔しているが、彼に潰された私の右目だけでは私の犯した罪を償いきれない。これほどハンムラビ法典が似合う男というのもそうそういないだろう…だが、こんな話をしたところで、そちらには何にもならないつまらん後悔話だったかもしれんな……すまなかった”
「…まあいいか、ありがとな。……………じゃあな」
返答に困って、やや間を空けた後に情報提供に対する礼と彼自身の気持ちを聞かせてもらった礼を述べ、電話を切った。
しかし、何処か彼の後悔の念に対してはぐらかしたようなものになってしまった。
例え、きちんと何かを返したとしても、彼に対し申し訳なかったのだ。
彼にヴェルナーを殺すように依頼したのは自分たちだから。
ハンムラビ法典が最も似合うのは、彼ではない。
最もハンムラビ法典が似合うのは、最も責任を問われるべきなのは、自分たちなのだ。
(…………さて)
そういえば、ディクソンは言っていた。
『ヌーシャテル第12生命科学研究所には軍隊を配置しなければならない程の『何か』が…恐らく最重要機密事項に値するようなものだろうが、それがあるとみて間違いないだろう。迂闊に…例えば単独で、近付くのは避けた方が良い。下手な動きをして近付こうものなら待ち伏せと尾行の挟みうちになってやられるだろう』と。
何かがひっかかる。
何だろうと思いつつ、クリストフを見てみる。
微かに、それでも確かに、不敵な笑みを浮かべていたのだ。
何かを計算しているようにも見えた。
(何故、シュトッフェルはこんな時に不敵な笑みを浮かべていやがるんだ?………って、まさか!?)
警戒心が頭を擡げる。
後ろも念のため確認しておこうと思い、さっと振り向いた。
明らかなまでに軍人によって尾行されていた。尾行する車も軍用車。しかもクロイツァー系列の会社で製造されている。
恐らくクリストフはもっと早いうちに気付いていたのだろうが。
何という皮肉だろう。自分がクロイツァー製の車に追われる日が来るなど思ってもいなかった。
「……やられた(ああ………何ということだ!!)」
隣で微かな音がした。恐らくは舌打ちなのだろうが。
次第に頭が混乱と焦燥の色で塗りつぶされていく。それに伴って、どんどん頭が機能しなくなっていく。これが彼の欠点だ。
まるでコンピュータのように、インプットされたデータ通りの事をこなすけれど、データにない事態が起こると、ハングアップする。『デューク=アルゼ=ロートレック』という名と『中将』という地位を元帥の作戦の便宜上与えられてはいるが、彼は軍人ではなく、あくまでも文民だ。
こんな時どうすれば良いのかは彼の行動予測リストには記されていない。
彼はかつてないほどの混乱に見舞われた。
(ああ、殺される!!?)
混乱する頭で、不意にそんな事を考えた。
それをきっかけに更なる恐慌に陥る。
確かに、誰かに殺されるような真似をしている覚えはあった。
クロイツァーが強大な勢力に至るまでにいくつもの壁があり、それを破壊して乗り越えていくたびに、誰かを、あるいは何かを悲しませた覚えもある。
しかし、彼の身に迫る現実の原因とそれはあまりにもかけ離れているのだが。
押し寄せる混乱の波のために、遂に彼は気付けなかった。彼自身を追ってきたのではなく、クリストフを追ってきたということに。