No Title Chapter of Ingram: 08

僕はどうして動けないのだろう。
そう思ったとき、僕は一つ考えた。
手の内を明かすようだけれど、レナス少佐と話をしてみようって。

何か、一つ、光明が差すかもしれないって。

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レナス少佐は隊長執務室にいた。
私用で、今はここにいない上司の代理をするのは補佐官としての仕事だ。

「——忌々しい……いっそ、死んでしまえばいいのに」

なんとなく彼女と話したくなって、ここに赴いた。
すると、そんな言葉を吐きながら窓から鋭い視線を送っているレナス少佐がいた。不穏な空気だ。

「誰が死んでしまえばいいんだろうね、少佐」
「——!?」

不意に声をかけられた所為か、ぎょっとした表情でレナス少佐は僕の方へと振り返った。
不穏な空気は消え、心なしか顔が青ざめている。
ああ、別にそんな顔させるつもりじゃなかったんだけど。

「イングラム少佐、でしたか」
「驚かせてごめんなさい。話をしに来たんだ」
「話、ですか?」

少佐に少し安堵の表情が現れたようだった。
うん、と僕はうなずいてみせる。

「そう、誰が死んでしまえば僕たちの周りは幸せになれるんだろうかと思う時がある?っていう話」
「——死んでしまえばいいなんて…」
「今さっき言っていたでしょ。——この部屋は誰にも聞かれない見られないでいい部屋じゃない。ざっくばらんに言ってみようよ」

勝手知ったる風にソファに腰掛け、足をわざと組んでニヤニヤして言ってみる。
ついでに彼女の正体も知っているということを話そうと思ったのだ。
彼女は仕事の手を止めて、話を聞いてくれていた。仕事が退屈だったのかもしれない。

「………」
「じゃあ、僕からね?あくまで僕の周りが幸せっていうのであれば…で、いっぱい死んでほしいのはいるけれど。まずあの元帥。この間の極秘任務の事もだけど、自分の意のままにしすぎる」
「……元帥は分からないでもありませんが…」
「ああ、やっぱりね。次に上層部のほとんど。元帥の腰巾着だし元帥と同罪のようなものでしょ。あと、そうだなあ…」
「まだいるんですか」
「いっぱい死んでほしいのはいるからね。最後にカミサマ」
「———!?」

彼女が露骨に表情を変えた。侮蔑といったものではなく純粋に驚愕だった。
僕は手を振って彼女がフリーズしていないか確認し、またソファに戻って言葉を続けた。
畳みかけようと思ったのだ。

「あ、いやもう死んでるか。”神は死んだ”っていうからね」
「な、なにを…あなた、キリスト教徒でしょう?」
「…そうだけど。…ああ言葉を間違えたかな。カミサマ、というよりイヴリン=フェレスさえいなければいいのにって思うよ」
「———……」
「僕は、君の正体を知っている」
「……なんですって?」
「君が本当は軍人じゃなくてイヴリン=フェレスによって送り込まれたエージェントだって」
「なぜ……あなたが私の事を知っているのです?」
「随分素直な反応じゃないか。僕はクリストフ=クロイツァーによって送り込まれた死者だからね、彼に色々教えてもらっているんだ。——君はシュトッフェルの監視を目的にしている。そうでしょう?」
「………ええ」
「君が、彼に抱いている感情もなんとなくだけれど知っている。———協力しないか?」
「…………保留にさせてください」

うーん、思ったようにはいかないか。
レナス少佐をうまく取り込めれば、監視も結末もうまくいくような気がしていたのだけど。

□□

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「———補佐官ッ!!」

ノックもせずに執務室の中に誰かが勢いのままなだれ込む。
瞬時に呆れたような苦笑を零して、レナス少佐はその人を見つめた。
ポニーテールにした黒い髪に黒い瞳。アリス=マリア=ローズ、階級は少尉。
若いながらも冷静な彼女がこんなに慌てていることなど珍しい。

「ローズ少尉、入る時はちゃんとノックして……あなたには今、そんな事を言っているような余裕はなさそうですね。どうしたのです?」
「…………っ、補佐官。閣下が、今大変なんです!だから…私に、出撃許可をッ」
「何故、閣下が今危険だと?あなたがそう判断した根拠は、あなたにありますか?」
「…私には、未来を見る力があります。それを未来視と私は呼んでいます。これまでにその能力によって私は何度も助けられてきました。なので、信用に値すると私は考えています。その能力から、私は閣下が危険だと判断しました」

彼女はそう言ったあと固く目を閉じて、俯いた。
未来視。ESP?彼女にそんなTVにでも取り上げられそうな力があったのだろうか。そんな馬鹿な。
一方、レナス少佐は何か端末を操作していた。こんな時に何を——と思ったが、やがて何か得心したらしい表情を浮かべて端末のそばを離れた。
カミサマが何かしらの権利を彼女に与えているのかもしれない。

——本当にシュトッフェルが危ないのか?
そんな馬鹿な、と思う自分とあり得ないなんてことはあり得ないと思う自分がいる。
いきなりの事でかなり動揺しているようだと思うのだった。

「——アリスッ」
「……何だ?」
「どういう状況?」
「あらあら…あなたを追いかけてきたみたいですね」

レナス少佐は再び苦笑した。
固く目を閉じて俯いたアリスの背後に、隊員たちが集まっている。
一番息が荒いのはアビゲイル。茶髪のショートカットが僅かに乱れているし肩で息をしているから、相当大急ぎでアリスを追って来たのだろう。流石の彼女も、彼女の様子がおかしいと判断したのだろう。それに他の隊員は彼女が連れてきたのだろう。彼女はリーダーシップをとれるから。
彼らから見る彼女には未来視の能力があるのか。
そうだとすると…本当にシュトッフェルが危ないのか。

「——お聞きしますが、皆さんはローズ少尉に助けられた事がありますか?例えば、何かを注意されて『〜が起こります』って言われた後に実際そうなった、とか」

「うーん、どうだったかな…」
「覚えてる?」
「いや、私は…」

随分とあやふやなようだ。本当はアリスにそんな力などないのだろうか。
でも、人間の記憶は大体はそんなものだ。
肩を震わせるアリス。それからややあって、一人の手が挙がった。

「あ、あります。waltz in the DARKの時に、『この作戦、必ず失敗するわ。実行直前に実行犯と被害者何人かが血を流すことで終わってしまう』って言ってたのを覚えています」
「waltz in the DARK…」

彼女の言葉の通り、件の作戦は失敗に終わっていた。
上層部10人と幼馴染ヒカルの死とともに。レナス少佐に聞きたかった。あの作戦の失敗はカミサマによって仕組まれたことなのかを。
もしカミサマの仕業だとしたら、その所業は一生涯忘れもしないだろう。よくも大事な幼馴染を、と。
ただ、ヒカルにとっては死こそが救いだったのかもしれないとも思う。自分の作戦の所為でクラスメイトを失って、心を追い詰めて壊してしまった。
今更西園寺久遠として彼の前に出て行っても、死者の魂が彼を責めに来たと判断されるかもしれなかった。

「——分かりました、特務隊隊長代理として出撃を許可しましょう。ただし、ローズ少尉…あなたは一人で行っては駄目…ここにいる全員で行きなさい」
「あ…ありがとうございます!」
「私が上層部のクレームは受け付けます。それと、10分で用意してここに集合して」
「補佐官、10分では遅過ぎます。だから……5分だけで結構です」

アリスがそう言った。
黒い瞳が決意、あるいは覚悟の光を宿し、レナス少佐を見つめる。その目はあまりにもまっすぐだ。
レナス少佐はダークブラウンの瞳を和らげて、彼女に問うた。

「…いいんですね?」
「はい」
「5分で用意して、ここに集合しなさい。いいですね?」

Yes, mum. と静かだが強い声が返ってきた。

アリスたちが執務室を出ていくのを見送って、レナス少佐は端末を操作し始める。
まずはタイマーを5分後にセット。
それからキーボードを操作する速さはかなりのものだ。

「———まさか、ね」

気がつけばキーボードを打つ手が止まっていた。
レナス少佐がそれに気付いて焦って動かそうとしても、彼女の意思に反して、手は動いてくれない。
それでも無理やり彼女は手を動かした。キーボードを操作する速度は変わらないか、やや上がったくらい。

「———あった」

キーを叩く。
タイマーが時間を告げる。

「——補佐官」

声に導かれるように、顔を上げる。
視線の先には、武装したアリスたちがいた。
各々の顔には緊張の色と、真摯な表情だけがあった。

「できましたね?」

レナス少佐は努めて穏やかに声をかける。
彼女たちは声ではなく、頷く仕草で問いに答える。

「気をつけて———Good Luck!」

「存在」というスイッチが切れるように、その存在たちが目の前から消える。
その瞬間を見送ってからやや間をおいて、レナス少佐は椅子を回転させ、背後の窓の方を向いて空を見上げた。

「これで、いいんですよね…?」

弱弱しい笑顔。そっと投げかけられた問いかけ。
僕は何も言わなかった。