No Title Chapter of Ingram: 10

翌日、軍に動揺が走った。僕の大体の予想通りではあったが。
クリストフ=N=L=クロイツァーの失踪という事実は軍人たちの噂話を介して民間人の、マスメディアの知るところとなる。

諜報関連部門はマスメディアの口封じを図ろうとしたが、情報はもはや止められないほどに広まっていた。
上層部は彼の行方を追うように命令を出し、脱走兵として指名手配までも行った。

地球連邦軍上層部の極秘機密”After Apocalypse”はとある将校ら―J.D氏とD.L氏とでもしておこうか―の内部告発によって明るみに出る。
この情報はマスメディアや各々の情報網を介して地球外にも広く広まり、クリストフの存在意義を知る各軍は地球連邦軍に対し、契約反故を理由に非難声明を出した。
また自らの生命だけを重んじた計画に民間人及び各国政府からの非難は最高潮に達し、その非難に対し軍は臨時軍法会議を開廷、レフ=ダニロヴィチ=ボーディン地球連邦軍元帥及びその賛同者に軍法第3089条第1項違反として有罪判決を下す。レフ=ダニロヴィチ=ボーディン元帥は首謀者として、半ば非難をかわす形で絞首刑に処され、賛同者たちは無期懲役の刑に処されることとなった。

そして、前元帥とは思想の違いから距離を置いていたポール=チャールズ=ランドルフ=リーン=アシュトン上級大将が新たな元帥として就くこととなる。彼は軍法を改正し監視機関を新たに設置するなど、元帥絶対主義の旧体制よりも緩やかな新体制を敷くこととなった。クリストフの後任として、補佐官のレナス少佐が大佐に昇進し、繰り上げでアキシオンフォース隊長に就任することとなった。僕は補佐官代理から正式に補佐官となった。
数日後に上層部での手回しがあったのか、旧体制下でのクリストフ=N=L=クロイツァーの指名手配は取り消されたが、未だに捜索対象となっているらしい。

そして、軍事企業最大手クロイツァー=インダストリーズは突如株式をすべて売却し、業界第二位のスマイソン=アーミー=インダストリー社、第三位ヴァイスリッツ社をはじめとした企業がこの株式を購入。クロイツァー=インダストリーズは社名を変更し、事実上消滅した。シュトッフェルの親戚であるコルネリウス=C=A=クロイツァー・元クロイツァー=インダストリーズ社社長は過労のため、長期療養として病院に入院したと報じられた。

人の噂も75日。
そのことわざは今も通用しているようだ。最初こそは連日のように軍関連のニュースが飛び交っていたが、次第に人々の話題にも上らなくなる。
遂に将校の失踪どころかその存在までも忘れ去られることとなったのだった。

…平穏はひとまず訪れた。

□□

あれから暫くは誰も立ち直れないようだった。それだけ隊長であるシュトッフェルの存在が大きかったのだろう。
レナス大佐は隊長となった今でも補佐官執務室で相変わらず仕事をしている。
なので隊員たちも、隊長執務室に訪れるたびに空席の隊長用の執務机を見て、明らかな落胆のため息をついた。

それにもましてあの3人。フォンテーヌ少尉やローズ少尉、ウィンストン少尉は自室に引きこもって、仕事をしようともしなかった。
その分イェーガー少尉が「あたしなら、まだ大丈夫ですから。もっと辛い思いをしてるアリスたちの代わりに頑張ります」と言って仕事を頑張ってくれた。彼ら4人は、彼を存在の拠り所にしている節があったから。その様子を見かねて、上層部はあまり仕事を回してこなかったが。
そんな様の部隊が任務を遂行しようとしても任務の邪魔になるだけだから、だと分かっている。

「使い物にならないよねー…」

イングラムは昔から使っている専用の部屋で補佐官の仕事をしていた。さながらここが補佐官執務室だ。
隊員の殆どが使い物にならない、これは大変由々しい事態であるといえた。
決裁済みの書類が片付けられずに山のように溜まっている。未決裁の分もまだまだある。報告書のサインをしていないものも多い。
仕事の処理速度は悪くないと自負していたが、これではとても追いつかない。
僕が過労死してしまいそうだ、などと思いながら通信で部下の報告を受けていた。

『…少佐、どうしました?』
「ああいや、こっちの話。ポールソン少尉、君は慎重に偵察を続けて。もう1週間したら交代人員を送るから」
『はい、分かりました。では、失礼します』

今の通信相手の部下は長期の任務のため、シュトッフェルの失踪を知らずにいる。
交代人員を送って、その事実を知ったらどんなに打ちひしがれることだろうか。
あーでも、と思う。この隊員――エセルバート=ポールソン少尉――は意外とタフだから打ちひしがれるということはないかもしれないと。

目の前にある大問題は。
アキシオンフォース隊長であるレナス大佐が半年たっても使い物にならない、ということだった。そんなにタフではないとは思いもよらなかった。
僕がやるしかないんだよね……とため息をつきながら、書類を持ってイングラムは席を立った。

□□

「失礼します、大佐」

勝手知ったる様子でイングラムは補佐官執務室に入ってきた。
手には書類のようなものを持っている。

「どう、されましたか」
「あなたのサインが必要なので、報告書にサインください。明日までです。…あ、あと溜まっている書類ください。片づけるんで」
「―――…」

レナスはその言葉に動かされるようにして、首を左右に巡らせた。左右に未決裁の書類が山のように積んである。
イングラムはレナスの目の前に持ってきた書類を目につくように置き、左右の書類の山を1つずつ運んで行った。
書類の山を持っていったかと思うと、もう一度部屋に現れた。彼もだいぶ痩せた気がする。

「いい加減にしてください。いつまでしょげているんですか、あなたは」

腰に手を当てて、イングラムは口を開いた。
表情には苦いものが混じっている。
実際、彼の中でも言いたくても言わなかった、我慢に我慢を重ねた末の行動であった。

「あんた、一部隊の命を預かっているんだって自覚あるのか?」
「――――」
「シュトッフェルショックから早いこと立ち直ってもらわないと、この部隊…潰されるぞ」
「――――」
「使い物にならない部隊なんて存在意義がないからな――」

上官に対する敬語も抜けてしまい、苦いものをさらに濃くした顔でイングラムはレナスを見下ろす。
その瞳は怒りと侮蔑で燃えていた。それらは確実にレナスへ向けてのものだった。彼女がそう認識しているかは怪しかったが。
一方でレナスは返す言葉が見つからないでいた。彼の言葉は正しいと、それは分かっているのだが……。

「シュトッフェルを忘れるか?部隊を潰されるか?どちらかをしなきゃいけなくなる」
「――――?!」

…シュトッフェル?
最初は「誰だ?」と思った。
けれど、すぐに理解する。それは「クリストフ」の愛称であることを。なぜ彼が閣下を愛称で呼ぶのかは理解できないが……。
閣下を忘れる?そんなことできはしない!
ならば部隊を潰されるか?そんな事…許されない…。私には荷が重すぎるが、閣下の帰る場所がなくなってしまうから、潰すわけにはいかない。でもどうすればいい?

「――そうでなきゃ、あんたが立ち直ってシュトッフェルを取り返すしかないんだ。いくらでも協力はする」

あんたにならそれができるんだ、あんたにしかそれはできないのだと、イングラムは強い口調で言った。
モノクロームの世界が一瞬色鮮やかに見えた。
ああ、そういう方法があったのか―――…

□□

イングラムとレナスは間もなく協力関係を結ぶことにした。
レナスはシュトッフェルの状態の確認を、イングラムはレナスが処理すべき事務仕事と業務指示の一切を引き受けることになった。
そしてレナスはようやく覚悟を決めたのか隊長執務室に居城を構えることとなり、イングラムは補佐官執務室に荷物を移動させた。
上の2人が変わったと思ったのか、隊員たちも少しずつ以前のような状態に戻りつつあるのを感じた。

大佐の決裁が必要な書類をもって隊長執務室に向かうと、ウィンストン少尉がちょうど出ていくところだった。
入れ替わりで隊長執務室に足を踏み込んだ。
レナス大佐は端末に向かっている最中だった。
決裁の書類をそっと置く。
ちらりと画面に目をやる。
表示されているのは既にサイン済みの報告書。送信も済ませている。
その報告書のファイルを閉じて、別のプログラムを起動させていた。

「前回はあなたに負けましたが、今回ばかりは負けられないんです」

これは。このセリフは――勝負か。
イングラムは邪魔をしてはいけないと思い、そっと執務室を出たのだった。
背中でキーボードが壊れるのではないかというほどの凄い操作音を聞きながら。

□□

「――作戦は、成功しました」

レナス大佐は急ぎ足で補佐官執務室へやってきて、少々熱っぽくイングラムにささやいた。
奪還に1年。短いようで長かった。

「今はシュトッフェルどうしてる?」
「隊長私室でおやすみになっておいでだと思います」
「そっか、僕は仕事が終わった後で行くので大佐は先にどうぞ」

そういって大佐を見送り、未決裁の書類を手に取った。
今頃何を話しているんだろうな、などと野暮なことを考えながら仕事を片付けていく。