No Title Phase:36

Phase:thirty-six

取り敢えず、誘導に従って研究所まで行くべきか。
そう考えつつ、静まった空気が漂う車内で携帯電話を操作してレナスに連絡を取る。
数回のコール音の後、”はい”という女性の声がした。知っている人間の、レナス本人のものだ。
それでも念の為に相手先の場所を尋ねてみる。
「特務隊隊長室か?」
“はい、……その声は閣下ですか?”
「ああ。隊長代理、お疲れ」
“いえ、これも私の仕事ですから……それで、一体どのような用件でしょうか?”
「ああ、I.m.aGF112」
“時間制限はあるのですか?”
「そうだな、1時間以内で…でどうだ?」
“了解しました。収集完了次第連絡します”
「…了解」
通話を終了して、携帯電話をぱちんと閉じる。
実行できる力はあるのに、情報不足の所為で失敗するというのはかなり痛いとクリストフは考える。
だが、これで行動選択を失敗するファクターは大部分埋められる筈だ。
「さて、彼らは何も仕掛けてこないな。研究所前で挟み撃ちにする方針は変わりなし、というところか…まあ、いい」
彼らが早々と仕掛けてきてくれさえすれば、正当防衛を大義名分にして、思う存分(ストレス発散も兼ねて)やれるのだが。
…そうも事はうまく運んでくれないらしい。
まあ、どちらにしろこの件についてはこちら側が有利だ。
恐らく第112陸戦部隊の狙いは自分…クリストフ=N=L=クロイツァーだろうから。
(恐らく)研究所には自分自身のデータが、”ENFORCER project”計画書と同程度、もしくはそれ以上の機密事項として残されている可能性が高い。
そうでなければ、こんなところに陸戦部隊がいるわけがない。
第112陸戦部隊の危険ランクはA。陸戦部隊では中の上程度の危険度だ。
確かこの部隊の指揮者のシェルトン=リー—個人危険ランクA-—は自らの部隊を使った挟み撃ちを妙に好んでいたという記憶がある。
それも、ただ闇雲に挟み撃ちを使っているような気がしないでもない。『なんとかの一つ覚え』という何処かの国の諺は彼にぴったりと当てはまる。実際、相手方に見破られている事も多々ある位なのだから、いい加減『ほどほどに使う』という事を学習してもいいだろうに。それでも、リーの『忠誠心』はどういうわけか元帥にいたく気に入られていて、彼を元帥の側近たらしめている。ちなみに彼は1回完膚なきまでに潰してみたい相手であって、その際には彼の苦痛や悔しさに歪む顔を拝んでみたいものだ。

先程まで混乱していた叔父は、叔父自身が狙われていると勘違いしていたようだが、現在は至って静かになっている。混乱のあまりに意識を飛ばしてしまったのかもしれないが(寧ろ、意識が飛んでくれていた方がありがたい位だ)、それでも後々の場合によっては叔父を強制的に黙らせるかもしれない。
(…そんな事態にならなければいいが。いや、でも彼の場合は何をしでかすか分からないからな……面倒だな)
1人ならば思う存分強硬な手段をとるなりして立ちまわれるが、今回のケースでは唯一にして最大の重荷になる叔父がいる。最悪のシナリオを辿った場合のことを含めてもう1度計算をしていると不意にゆらりと一瞬、空気が動く。それを一瞬で感じ取り、空気を動かした人物に向けて反射的に銃を取り出し、構える。
(なんだ、あなたもか。)
「——うご…「———動かないでください」
彼より銃を突き付けるのが僅かに早かったようだ。
彼に見せつけるように安全装置をゆっくりと解除する。そうして笑んでみせる。
蘇る、何かが変わる感覚。この感覚は——あの頃の……ひどく懐かしい。

抑えていた何かが弾け飛んだ。
「あなたもか…全く…油断したじゃないか(全て、今のところ想定の範囲内だ)」
「貴様………っ」
「…動かないでください、と言っただろう?さもなくば、お前を蜂の巣にすることになるぞ」
「………っ」
「———そう、俺に従っておけばいいんだ。ああ、銃は捨てて運転を続けろ…どうせ第12生命科学研究所で盛大なお出迎えがあるようだし、無碍にするわけにもいかないだろう?」
彼のこめかみに銃を突きつけて、敬語抜きの口調で話しかける。
すると、彼は構えていた銃をこちらに投げ渡した。
一旦預けておくということなのだろう。甘いなと思いつつそれを受け取り、安全装置をロックして自分のホルスターにしまった。

車が赤信号で停車した。
それを見計らって、声を潜め更に彼に話しかける。
「さて、簡単な尋問を行うとしよう。現在行動中の部隊は第112陸戦部隊だな?」
「……ああ」
「お前もその一員だな?」
「ああ」
「任務内容、クリストフ=N=L=クロイツァーの捕縛…正しいか?」
「……………ああ」
「お前は、クロイツァーのエージェント…この場合は運転手か…として潜入し、第12生命科学研究所にまで連れて行く任務を負っていた…違うか?」
「………………正解だ」
「尋問終了、とっとと運転に戻れ」
クリストフは浮かべていた笑みを怪しげな、深いものに変えて、彼の後頭部に銃を突き付けなおす。そして耳元で低く囁く。瞳には、他者より優位に立つ者特有の傲慢な輝きが宿る。

まずは包囲網を振り切らせよう。
そう考えて、目測で3方向の車の速度を測り、脱出速度を算出する。
「脱出する。時速90kmで走行しろ…いいな?これは命令だ。できなかった場合、どうなるかは分かるだろう?」
「…………っ」
「そう、いい子だ」
銃を突きつけるのを止め、くつくつと笑うクリストフを見て、運転手は背筋が凍る感覚がした。

何だ、コイツは!?
ルームミラーで時折窺っていた様子とは全然違う今の様子。
何かを企み、傲慢さを感じさせる態度。データのパーソナリティー欄のコメントには今のような様子の記載はなかったはず。だが、中将閣下が言っていた事が今となってはよく分かる。彼は…………あまりにも危険すぎるのだと。

冷静さを取り繕って、アクセルを強く踏む。それに従って車が加速していく。
3方向を囲んでいた軍用車が次第に引き離されていく。
ああ、仲間と引き離された。後を追いかけるようにして、軍用車が加速を始める。
少しずつ距離が縮まっていく。

サイドミラーで後ろをちらりと確認して、クリストフ=N=L=クロイツァーは優雅に足を組んで命令した。
その姿は絶対的王者のようにも見えた。
「………次は、105km/hだ」
何故、脱出速度が即座に計算できる?
この任務の打ち合わせで決めていた、各々が走らせる車の速度。尾行する車は徐々に速度を上げて、この車は気付かれない程度に徐々に速度を落としていく予定だった。そして研究所前で彼を捕縛する予定だった。それらを振り切るのに必要な脱出速度は次第に早くならざるを得ない。だが、見事なまでに彼はそれを言い当てていき、運転手に命令する。
尋常じゃない。前髪を左手でかきあげ、乾きでもしていたのか、薄い唇をゆっくりと舐める。舌が僅かに唇の間から覗く。下品に見えないところが不思議だ。重力に従って落ちていく、プラチナブロンドにも見える白っぽい髪の毛。データでは「黒」だということだったが。監視しているのか、ルームミラーを見据えている獰猛で鋭い、濁った青の瞳に気圧される。

——何故、こんな奴の命令を聞いている?
「うああ………っ」
運転手は抵抗するかのごとく唸り声をあげた。
だが、それさえも獰猛な笑みを静かに浮かべて見ているだけだ。全て想定の範囲内だとでも言うかのように。
不意に何かを押すような小さい音と低い声とが聞こえた。どうやら電話らしい。
相手の音声まで聞こえてくる、いつの間にかそういう設定に変えたらしい。漏れてくる声からすれば、多分クリストフ=N=L=クロイツァーの副官をしている女だ。
「ああ、俺だ」
“データ、収集完了しました”
「随分と早かったな、御苦労…で?」
“大半は…表の面というべきでしょうね。そこは閣下もご存知でしょうから割愛しますが、彼らは水面下でもよく動いているようです”
「へぇ、裏の顔…か」
“裏取引ですね。軍事関連企業業界第3位のヴァイスリッツ社、第5位のインティマ社含め5社との利権に絡んだ取引に関与しているという事実が発覚しました”
「これをマスメディアなんかを通して公表すればどうなると思う?」
“そうですね…、ある程度の騒ぎは発生すると思います。中将閣下は即座に騒ぎの鎮圧に奔走せざるを得ないでしょうね”
「リーが降格、なんて事はあると思うか?」
“シェルトン=リー中将の降格ですか…ありうるでしょうね。元帥も自らの体裁を守るためにはそれくらいはやってのけるでしょう”
「どうする?」
“公表するのも一つの手かと”
「君に任せるよ」
“…………閣下がそう仰るのでしたら”
「…了解」
何かを、恐らくは携帯電話のボタンを押すような小さな音がした。
後ろで邪悪に微笑む気配。ルームミラーに映る、表情。濁ったような不気味な青い瞳が闇を宿す。奥に広がっているであろう混沌に飲み込まれそうになる。
それを目の当たりにした運転手は怯みそうになる自分をアクセルを全開にする事で、本能のままハンドルを切る事で誤魔化した。それによって車がぎゅんと加速していく。従って仲間たちが取り残されていく。やがて、彼らは見失う。しかしながら、運転手はその事実に気付かない。怯みそうな自分を誤魔化そうとすることで精一杯だったからだ。

クリストフはそれに気付いて、更に笑みを深めた。
「…………聞いただろう?今から、部下がマスメディアに中将の不正取引の情報を流すかもしれない。それでそちらの部隊の指揮者の降格が決定し、部隊全体のランクも落とされるとしよう。そうなれば、あんたたちにも不名誉な事になるだろう?」
「…………っ、貴様、最低だな…っ!そうやって、他人を蹴落とすのがそんなに楽しいのか!?」
「ああ、楽しいさ。…それに、あんただってそうだろう?今、こうして仲間だった奴らを置き去りにしている…ほら」
クリストフは突然手を伸ばした。何をされるか予測もできなかった運転手はびくりと身を竦ませた、と同時に嫌な想像が頭を過ぎった。
が、その手は運転手の想像とは異なりルームミラーに伸びて、彼に後ろの景色が見えるようにミラーの角度調節をし、彼に見るように促した。
「…………………!!」
厭々ながら運転手が絶妙な角度に調整されたルームミラーに目を走らせると、もはや仲間が乗っていた車は見えなくなっていた。しまった、乗せられた、と思った。

彼が驚愕し、目を疑っている様子をクリストフはルームミラーの死角で薄く笑いながら見ていた。

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