Phase:forty-one
クリストフはらしくもなく、いらつきを隠しもせずに、正面を睨みつけた。
負けるわけにはいかない、だが目の前の兵士たちが邪魔だ。
迫る最前列の兵士に足払いをかけて、地面に倒す。
それを押しのけるようにして、前へと詰めてくる兵士を銃で牽制して、強行突破する。
1発、また1発銃弾が減っていく。
更に奥にも(あるいは研究所内に)部隊がいるのか、兵士たちは追ってこない。
まずい、体力が消耗しかけている。
その状態で研究所に正面から突入するのは不味いと踏んで、周囲の林から研究所に侵入することにする。
それさえも奴らの罠にひっかりそうな考えではあるが。
そんな事を考えながら兵士たちの死角になる場所に隠れ、肩で息をする。
呼吸の邪魔になっているであろうネクタイとシャツのボタンを緩めると大分楽になったが、その所為か呼吸が更に大きく激しくなり、更に疲労度が増してしまった気がする。
取り敢えず、研究所の周りが林で助かった、と密かに胸を撫で下ろす。
だが、当初の計算では立ち止まっている筈などなかった。先日の発熱による体力の消耗が影響しているケースを考えていなかったなんて、なんて馬鹿なんだ。
自分自身に悪態をついて、見つからないように駆け出す。
あと、研究所まで2,30m。
(………やはり、1対1部隊というのはやるべきじゃなかったな…くそっ)
いつの時代の武将だ、などと更に自嘲して、速度を上げる。
まだ、いける。
そう思った途端に兵士たちが飛び出してきたのを、走る勢いのまま肩で弾き飛ばす。
威嚇射撃として、銃弾を3発。もちろん、当てはしない。
制式銃の銃弾がまた切れた。
マガジンに自分の銃用に所持していた銃弾をこめて、リロードする。
その際に銃弾も残り少ないのだと気付いた。
遂に研究所の外壁が目の前に迫る。
飛び移れるところは、障害物はないだろうかと、あたりを見回す。
そのようなものはなかったが、何かしらの配管がむき出しで表面に出ていた。それを使って内部に侵入することにする。
アカデミー時代にやったC.Q.B.よりも難易度が高い。
そうひとりごちて、一息つく。ある程度呼吸の乱れを正してから配管に手をかけた。
□□
彼は、様々なものに気付くのが遅過ぎた。
『何だ、これは!?』
目の前の状況にただ、ただ、なす術もないかのように目を見開く。
モニターに映るものが信じられなかった。
常にモニターに表示されているマザープログラムの記述、それが改竄されていた。多くの、それも重要なものばかり、パラメータを改竄されていた。
何故気付けなかったのか、自分でも分からない。だが、こんな事が出来るのは彼以外では、たった一人だけしかいない。
このマザープログラムの存在をあの世界の人間は知らないはずだから。
あの忌わしくて、彼が恐怖を覚えたENFORCERでさえ知っている確率は極端に低い。
歯ぎしりをして、恨めしげにその人の名を呟く。
『——”ベアトリーチェ”ッ』
君も僕から離れていくというのか。
かつての、あの3人と同じ様に。
僕を置いていかないでくれ、”ベアトリーチェ”。
君は僕の……っ
君は僕の何だったかを忘れてしまったとでもというのか。
□□
配管を何とかよじ登って、2階部分の窓を力を込めて蹴りつけると窓枠に嵌め込まれていたらしいガラスは鋭い音を立てて割れた。
配管という危うい足場から飛び込むようにして中に侵入し、そのまま背中を丸めて床で前転することで勢いを殺す。
以前この研究所には忍び込んだことがあるが、この部屋は初めて見る。
「何処だ?」
自分で割ったガラスに触れないように気を付けながら、立ち上がる。
パキという音で、クリストフの体重で細かく砕けたガラスが更に細かく砕けたのが分かった。
辺りを見回しながら、服に付いたガラスの欠片や埃を払い落とす。
自分以外誰もいないと分かると、大きく息をついて自分の所有物の方の銃の残弾数を確認する。
ある程度体力が回復したらこの部屋の外に出るつもりだが、その前に此処で情報を得られないだろうか。
もう一度、注意深く周囲を見回すとドアの傍に何かがあった。
「…マップ、か」
元々は避難経路を示すためのものだったのだろうが、それで十分だ。そのマップを頭に焼き付ける。
それにしても、この部屋は研究員の休憩室だったのだろうか。以前、ここに来た時に見たようなものは一切ない。
ある程度時間が過ぎて、体力の方もだいぶましになってきたところで、どうやら壊れているらしいドアをそっと手で開けて、細い隙間を作り外の様子を窺う。何か嫌な予感がするものが一瞬目に映り、思わずドアを閉めた。自身を落ち着かせてから、再びそっとドアを開ける。
隙間全体が白いもので塗りつぶされている。
その白いものには規則的に斜めに走る模様のようなものが見える。ちょうど、布の織り目のような感じのもの。
(……これは、布地か?)
ドアを盾にするようにして身を隠し、隙間から制式銃の銃口を出してそれをつついてみる。薄くて柔らかい(しかし、布地ならば厚手の方に入るだろう)感触の後に何かに銃口が当たった。
銃を構えて、ドアを勢いよく全開にする。
その際、白いものが倒れこんできた。
ドアを開け放ったクリストフの眼にはスローモーションで再生されているかのごとく、白いものはゆっくりと床の上に崩れ落ちていった。どさりと音がする。
何が起こったのか気になって、そばにしゃがみ込み、検分を開始する。
さっき倒れこんできたのは、白衣を纏った研究員だったようだ。
ネームプレートに視線を走らせる。
研究員 アウグスティン=ブランケンハイム
身分と名前、胸から上の写真がそこにあった。それらから判断すると、これはブランケンハイム氏であると断定される。
何者かに至近距離から撃たれたらしい彼=ブランケンハイム。
纏われている、銃弾の数だけの穴と赤黒い染みを作った無残な白衣。
此処で、彼の身に何が起こったのかは自分は知らないが、取り敢えず検分を続ける。
だが動かない。当然だ、彼が撃たれた場所はまともに当たれば致命傷になるところばかりだから。
それでも、ひょっとしたらまだ生きているかもしれない、と思い、念のため脈を測ろうと首筋にそっと指先を当てる。
手ごたえの感じられない脈。極限にまで見開かれた虚ろなコバルトブルーの瞳。瞳孔散大。瞳孔反射無し。毛先に血が付いた、緩いウェーブのかかった金色の髪と顎鬚。遂には閉じられることのなかった口。
ざっと全身を確認してみたが、銃創以外には外傷がない。死因は出血性ショック死だろう。
表情を変えず、寧ろ何も感情の籠もっていない視線で、改めてその亡骸を見下ろした。
彼は自分が死ぬと認識する前に死んだのかもしれない。
そっと、その瞼に手をやって、瞳を閉じさせる。
きちんと祈りをささげてやりたいものだが、そんな事を今やっている暇などない。
密かに彼に謝罪して、その上を跨いで、部屋の外に出る。
足音を殺すこともせず、ただ何かに引き寄せられるように廊下を進む。
途中、遭遇した数人の人間からあらゆる情報を聞き出し、無理矢理一つの部屋に閉じ込めた。
理由は単純。情報不足、邪魔だった、その2つだけだ。
□□
気が付けば、こんなところにいた。
補佐官は一体何をしたというのか。
カツカツと誰かの靴音が直角に交わる廊下から聞こえてくる。
セレストは注意深く周囲を見回した。銃を握る手にぐっと力が籠もった。
だが、見えない。気配さえ感じられない。
足音の主だけではなく、同行していたはずの他の皆の分も。
(——誰、だ)
それに対して不安と緊張が走る。制式銃を持つ手が微かに震えている。
ようやく交差点で、音の主とみられる人物が姿を見せた。
必要な筋肉は付いているが無駄なものがなく、すらりとして細く見える長身。白っぽい金色の髪。青灰色の瞳。若い男。
シルバーモデルの銃を左手に、制式銃を右手に持っている。
そんな特徴を持った彼がセレストを見据えていた。
それはセレストが探していた、上司その人。
彼が纏うストライプのスーツは少しだけ乱れ、深緑のネクタイも緩められていて、更にはシャツは上の方のボタンを外されている。
ここまで来るのに、相当ハードな行動をしてきたのだろう。
閣下は決して服装を乱しているところを他人には見せた事がなかったから。
だというのに、彼自身の息は全く上がっていない。
何の表情も見せない男は、つかつかと僕の目の前まで来て足を止めた。
それに何故か恐怖を覚えた自分自身を誤魔化し、そして守るために、彼をきっと睨みつけた。
「——セレスト=フォンテーヌ」
いきなり自分の名前を呼ばれ、身を強張らせる。
睨みつけていたはずの眼はいつの間にか僅かな恐怖に塗り替えられた。
懐かしい記憶が蘇る。
あの日、今と同じような状況で、僕らは出会ったのだ。
何処かの研究所で、コピーとして生み出された僕ら。僕らのオリジナルたる、彼。
研究者の気まぐれによって引き合わされた僕たち。
彼は僕らの名前を読み上げ。侮蔑の感情はないものの、奥底まで冷えた視線で見据えた。
その時、僕らは「各々の存在を作ってくれた」彼への感謝の念と、「彼が、僕らが研究材料になる原因を作った」という理不尽な恨み、それだけではなく恐怖をも覚えた。そして、それらに負けるようにして、何かに迫られるようにして、僕らは互いに誓った。
「彼にどこまでも付いていく」と。
しかし今、彼はその瞳に困惑によく似て非なるものを宿す。
理由は分からないが、まるで困惑と厳しさが混ざったような光が浮かんだ。
瞳とは違って、声は厳しさを帯びていた。きっと瞳が浮かべる感情が、彼の本音としては正しいのだろう。
目は口ほどに物を言うのだと聞いたことがある。
「何故、君がここにいる」
「補佐官です」
「レナスが何をした?」
「よく分かりません」
「———そうか」
何かを考え込むようにして、閣下は遠くを見つめた。
身長差の所為で見上げた時に、何処かを見ている青い瞳が目に入る。
そういえば、こんな近くで誰かの目をまじまじと見た事なんてなかった。
あの時でさえ。今見る、彼の瞳は深くて綺麗な海のような色をしていて、その色に見えない力で引き寄せられるような錯覚に陥る。
遺伝子操作で作られた自分のコバルトブルーとエメラルドグリーンのオッドアイよりは何百倍も綺麗だとぼんやり思った。
あの時、彼が僕らを見据えたその後、何があったっけ。
ああそうだ、形だけの笑みをその無表情な顔に貼り付けたんだった。
それから「行くぞ」と無表情に告げたんだ。
「………フォンテーヌ少尉、何をしている?行くぞ」
声に意識を引き戻される。
いつの間にか離れて立っていた閣下は口元に微かな笑みを湛えて、促した。
ここはやっぱり同じ。感情が籠もっているか、いないかは違うけれど。
「…Yes, sir.」
短く答えて、先を歩きだした閣下を小走りで追いかける。
彼は迷うことなく進路をとっているが、何処へ向かうつもりなのだろう。
だが、行き先が何処であろうと、僕は彼についていく。
彼と初めて出会った日にそう決めていたのだから。