No Title Phase:04

Phase:four
「またか…もういい加減にしろっての」
こめかみに走った、小さくて鋭い痛みに、涙が少しだけ残る顔を僅かに顰めて、小さく悪態をつく。
いつも突如聞こえる、柔らかなコロラトゥーラソプラノ。
彼だけにしか聞こえない声。いつも一つの事しか繰り返さない、あの馬鹿馬鹿しい幻聴の時間がやってきた。その声に身を任せられればどんなに楽かと思いながら、それが途轍もない誘惑に聞こえながらも拒み続ける自分がいて。
自分の姿に目を背けるかのように、そっと目を閉じる。

(——諦めの悪い自分にも辟易するんだけどさ、この痛みにもいい加減にしてほしいと思ってるんだけどな)

痛みはまだ、引きそうにない。
多分幻聴の時間が終わるまでは。
さあ、立ち上がりなさい。
そして「全て」を、その手で終わらせるのです。
———罪の意識に囚われ続けているあの人を助けてあげて
The Lethal Weapon…
それがあなたの「役割」。
そう、あなたは「全て」に終止符を打つために生まれたのですよ。
今すぐに立ち上がり、「全て」に終焉を………。
必要なものはあなたの周りにある、だから今すぐに。
———助けて…過去に未だに囚われている、あの人たちを
The Lethal Weapon…

「The lethal weapon… 」
こめかみに走った痛みが引いた途端に目を開け、表情が消え去った表情で、乾き切った小さな声で最後の言葉を反芻する。
彼の顔に涙は残ってはいない。

最終兵器。

いつもの事ながら、あの声は…あの人は彼をそう呼んだ。

右手を、先程から痛みを訴えているらしい左肩にそっと当てる。
右手の下には、将官を表す模様と、官位を表す星の入った肩章があり、その感触が指の薄い皮膚越しに伝わってくる。身に纏う黒をベースとしたロングコートに映えるプラチナシルバーの地に、その上に金色の小さな金属板の星が1つだけ、金糸で縫い止められているという至ってシンプルなもの。
それらが表すのは、彼の持つ「少将」という地位。
それだけの地位を持つという事は即ち、他の者たちの上に立って、その指示に従う彼らの命を預からなければならないという事。
個々の命に責任を持たなければならないという義務を負っているはずだ。
その義務を薄っぺらな肩章が示していた。

(——俺が「最終兵器」、だと?全くもって馬鹿馬鹿しい話じゃないか。)

彼は静かにひとりごちる。
その瞳はいつにない真剣さと、僅かな怒りと悲愴に満たされていた。
見えぬ筈のもの…コロラトゥーラソプラノの主へ、その鋭い視線を固定する。
「『全てを終わらせろ』。あなたはそう言ったが、俺は何をすればいいんだ?『最終兵器』なら『最終兵器』らしく、戦争相手を全て滅ぼせば全てが終わるとでも?ゲームみたいに終わりがあるものとは違って、戦争なんてものに絶対的な終わりは無いさ。」

絶対的な終わりがないと言うのなら、何故あなたは軍に所属して、そんな制服を着ていると言うのです?それに、あなたは一体何をしたいのですか?
———あなたは、勘違いをしているわ。私が終わらせてほしいのは、過去の罪に囚われてまた新たな罪を生んでいるあの人の…
頭の中でコロラトゥーラソプラノが問いかける。
張り詰めた静けさが漂ったそれに「俺にはやらなければ事があるんだよ……色々とね」と同じような声音で返す。視線を和らげて、瞼を閉じる。そして両腕を組んで、今度は諦めたかのような口調でこう言った。
「戦争相手を滅ぼしたとしても、生き残った人間たちは些細な切欠でまた戦争を始めていく。あまり認めたくはないが、人がこの世界にいる限り諍いは起こり、戦争は続いてくんだろう。それに、あなたは誰を救いたいんだ?……なあ、教えてくれよ。あなたは俺に何を望むんだ?」
彼の問いに対する答えは返らず、コロラトゥーラソプラノの声の主は黙った。
自分の言葉に何を返していいのか分からなかったのだろうと彼は推測した。
その沈黙が長く続いたため、そろそろこの見えない人との話を切り上げようと、肩を少しだけ竦めてから畳み掛けようとした。
「相も変わらず、『答えは用意してません』という訳?俺はあなたの言うように、全てを終わらせるような、ヒロイックな人間じゃない…俺は最終兵器じゃないんだ!」
最後の言葉だけは、自分にしては珍しく語気をかなり強くした。
最後に怒鳴ったのはいつだったか、それはもう覚えていない位昔のこと。
何故だか、自分が自分に言い聞かせているような気分になる。「何故だろう?」と考えていると。
あなたは何も知らない。…それなのに、そんな事を言うのですか?

「俺が何も知らない、だと?…どういう事?」
珍しく、負け惜しみのような声音のコロラトゥーラソプラノが返ってきた。
クリストフが訝しげに顔を歪め、声に問いただそうとした時、ドアの開く独特の音が聞こえた。
何故か、その音がやけに大きく聞こえた。
「——閣下?」
突如聞こえてきた、自分の副官、レナスの声。
それを副官の声だと耳が認めると、はっとする。
それに彼女(声からして女性だろうと推測した)も気付いてすっと気配を消した。
「……どうしたんだ?」
「いえ、何か…ご不満な点でも?」
クリストフがレナスの方に首だけを向けて訊いてみると、逆に彼女が彼に訊き返してきた。
彼女の顔には、不安げな様子が見て取れた。
「………いや、何でもない。それより、今週は何か予定が入っているか?」
とりあえずは、簡単に否定しておく。
その後、レナスに余計な詮索をされないように話題を変える。
感付かれるのを防ぐためではなく(寧ろ、感付かれる可能性は低いように感じられた)、この目の前の副官にはこれ以上の迷惑はかけられないと思ったから。その仕草で、レナスが何かを勘付いているのも知らずに。彼女が何かを勘付いている証拠に、彼女の顔が微かに苦しそうに歪んで、後ろ手に組まれた両手が掌に食い込むほど強く握り締められていた。
「いえ、何も特別な予定は入っておりません。——閣下」
レナスが話の途中で改めて「閣下」と呼ぶのは、大抵義理の親絡みだ。
伯父が亡くなったと聞いたばかりなのに、更に精神的に参らせてくれるなといった感じである。
「——義父さんが何か言ってきた?」
クリストフは義父の事があまり好きではなかった。
義父はある意味では伯父とは正反対と言っても差支えない存在だった。
そもそも、クリストフを養子にしたという理由からして、いけすかない。
「ええ、つい先程、ディクソン中将閣下からお食事のお誘いがあったのですが」
ジェレミー=R=ディクソン。
これがクリストフの義父の名前だ。
クリストフにとってはいけすかないジェレミーが彼を引き取ろうと思った理由。
それは、「クロイツァー」というネームバリューとその財産にあやかろうと思ったからだと聞いた事があった。
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「クロイツァー」というネームバリューとその財産。
この話をするには、少々過去の話をしなければならない。

クロイツァーというのは、もともとはフランスに起源のある家だ。
まあ、こんな話はよくあるのかもしれない。
昔、フランスで栄えていた当時の一族はどちらかと言えば商業系の才能に秀でていたのだが、それからかなりの年月が経つと共にその才能は次世代に引き継がれなくなり、没落の一途をたどった…かのように見えた。
ある時、一族のとある男(彼には商業の才能は全くと言っていいほど無かった)が難病に罹った一族の子供の治療費を稼ぐために、軍隊に入った事が所謂ターニングポイントだった。その男は、軍事に関する才能には僅かばかりには恵まれていたのか。軍隊に入ると、その才能と血のにじむような努力のおかげで次第に力を付けて、最終的には大将までのし上がっていったのだという。
それに後押しされて、一族はドイツに移住して姓を「クロイツァー」に改め、(昔の才能が復活したのかどうなのかはさておいて)軍事産業方面での巻き返しを図り、莫大な利益を得てきたのだった。

この出来事以降、クロイツァーという家名のつく男子はほぼ全員が軍に所属し、しかもその全員が高位の職(主に将軍位)に就くことが軍の中での謂わば「暗黙の了解」のようなものになっているのだ。
また、現在の地球連邦軍の兵器ほぼ全てにクロイツァー家が関わっているのだという。地球上の最後の肉親である叔父が経営・統括する巨大軍事企業が。

現在に至るまでに、軍事産業に多大な影響を及ぼし、歴代にわたって将軍を輩出してきたクロイツァー家のネームバリューは相当なものとなっていたのだ。恐らく軍内でその名前を、その影響力を知らぬ者は誰もいるまい。そして、「クロイツァー家最高傑作」とまで呼称されたヴェルナー=T=クロイツァー大将が亡くなった今、軍内最後のクロイツァー家の人間がここにいる。——かの「最高傑作」の忘れ形見、クリストフ=N=L=クロイツァー少将が。
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その忘れ形見を見逃すほど、ジェレミーは愚かではなかったということか。
彼を利用しようと思えば、軍を揺さぶることだって、軍事産業に大きな影響を及ぼすことだってできる。13歳になったばかりの「クロイツァー家最高傑作の忘れ形見」をぎりぎり世界条約に触れるか触れないかのところで自分の養子とし(自らを「父親の友人」だと詐称し、ほぼ強制的に拉致監禁したものだったらしいが、記憶が曖昧なのか自分はよく覚えていない)、これまた軍人に相応しいように育て上げた。
「どうせ、断れない誘いなんだろう?で、いつだって?」
いけすかない義父の顔を脳裏に思い浮かべて、クリストフは盛大に顔を歪めて溜息をついた。
思い浮かんだのは、狡猾なくせに、どこか愚かな義父の顔だった。
レナスの答えにぼんやりと耳を傾けながら思案する。
(——そういや、軍に入れられたのも義父さんの所為だったな。こっちは入りたくて入ったわけじゃないってのに。まあ、辞めようとしても無理だっただろうけど。…あーあ、一回シメとくべきだったかな。あの顔が歪むのってなかなか見物だったかも知れないな。)
……その思考が、不謹慎極まりないものだとは思うのだが。

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